ゼミ生コラム

8・9期(2005年度)

執筆:2006/02/08 丘の上
ゼミの10人で映画「ホテル・ルワンダ」を見に行った。この映画は1994年にルワンダで起こったフツ族によるツチ族などへの大虐殺の最中にフツ族であるホテルの支配人が多くのツチ族をかくまった「ルワンダのシントラー」についての実話を基にした作品である。

正直なところ自分がいかにこの問題について関心を持ってこなかったかということを感じるとともに、先日のゼミで議論した9条や安全保障、国際貢献の問題についてそれまで自分が持っていた見解が果たして正しいものだったかと、映画を見て少し価値観が揺らぐことになった。
その後、ゼミ生と帰路につきながら国際貢献のあり方についての議論になる。ジェノサイドを止めるためには人道的介入が必要である、9条があるから人道的介入に反対するのは一国平和主義じゃないか、など人道目的なら介入すべきとの主張を聞く。
ただ、人道的介入と言っても、それは戦争であり人の命は失われる。多くの命を救うためには犠牲もやむをえないという考えもあり得るが、どのような状況で犠牲を出すことが適切といえるのか、その判断には慎重にならざるを得ない。ある友人は比較的最近虐殺が起こったとされるダルフールの情報がほとんどないと指摘した。国際社会は問題が発生したことすらなかなか実感が持てず、問題が発生しただいぶ後からようやく重い腰をあげるのがせいぜいのところなのだろうか。本当に大事なことは問題の発生を防ぐことであるにもかかわらず。今ダルフールにはアフリカ連合が停戦監視部隊を派遣しているが、情勢は不安定である。
人道的介入という他国に部隊を派遣することにどこまでの犠牲を覚悟で人道の実現に貢献する意思があるのか、簡単には是非を判断することはできないだろう。
そのように疑問を述べると、友人の一人がそう言っていては結局問題は解決しないじゃないかと指摘する。目の前にある出来事を何とかして解決したいという彼の主張には説得力がある。
戦争回避のためでもある国際的枠組は同時に虐殺回避の役割を演じる必要がある。しかし、虐殺を回避するには途方もない意思と努力と金が必要になる。国際貢献のためという文句が憲法との緊張関係を生み出すまでに使われるのであれば、本当になすべき国際貢献は何なのか、難民の受け入れか、ODAか、国内にいる外国人の環境改善か、それとも自衛隊の給水活動か。確かに軍事力ないし警察力の投入が必要となる場合もあるだろうが、国家としてどのくらいの犠牲を覚悟で何をどこまでやるつもりなのか、人道的介入という国際貢献を行うというのであれば、国民一人ひとりの少なくとも現状以上の覚悟が必要なのではないだろうか。そんなことを思いながらも、ゼミの仲間で見ることができたのが何よりすばらしい映画だった。
執筆:2006/01/26 らいおん
最近「あんなことをしてしまうなんて、あのときの自分はどうかしていた・・・」というような言い方についての指摘を読んだ。読んでいるうちに、この言い方には自己責任論と面白い連関があるのではないか、という考えが浮かんできた。

自分で決定することには自分で責任を持つ、ということが自己責任の根本にはある。どんな状況にあろうとも、その状況下で自分が決定したことについては自分が責任を負う。自己責任を突き詰めていくとそのような考えに行き当たる。
では上記の「自分はどうかしていた」という言い方、一見するとあんなことをした自分が悪いという、自己責任の受け入れのように感じられる。しかし、本当にそうだろうか?というのも、この言い回しには「あのときの自分はどうかしていた」→「だからあのときの自分は本当の自分ではない」→「本当の自分はあんなことはしない」という論理が見え隠れしているように思えるのだ。
つまり、この言い方は自分と自分がなした決定とを切り離しているように聞こえる。非を認めて自己責任を受け入れているようでいて、実は自己責任を負うべき自分を他者化している。では本当の自分というのはどこにいて、どんなものなのかと問うたところで、明快な答えが返ってくるとは思えない。
そこで考えた。実は自己責任とまっすぐに向き合うためには、まずその自己というのがはっきりしていなければいけないのではないか?なるほど、イラクで捕まった方々は、はっきりした自己の信念であれだけ危険なイラクに行ったのだから、それで捕まっても文句は言えないということになる。
ただでさえ、自分探しなんて言葉が当たり前になってしまった世の中である。個人的にはイラクで捕まった方々に対する自己責任論の正当性には疑問を持っているが、実はそんな中でも彼らには自己責任に向き合えるだけの土壌があったことになる。自己責任の話は、実はアイデンティティともつながっていたのだ。
さて自己責任、そもそも責任問われるだけの自己が我が身にあるのやら
執筆:2006/01/05 エイコ改めみつはし
 明けましておめでとうございます

 2006年元旦の話題から。
 実は2006年は昨年より時間が長いのです。といっても1秒なんですけどね。
 地球の自転の遅れに合わせて、2006年1月1日午前8時59分59秒と午前9時00分00秒の間に午前8時59分60秒なる「うるう秒」が追加されました。7年ぶり23回目だそうです。
 現在は、地球の自転に基づく天文時ではなく、セシウム原子の放出する電磁波の振動周期を91億9263万1770倍した時間を「1秒」とするセシウム原子時計がグローバルスタンダードとなっています。最近では、さらに正確な「1秒」を求める研究が進んでいます。ストロンチウムに赤い光の半導体レーザー光を当てたときに出るレーザー光の振動周期を429兆2280億倍すると、セシウム原子時計の1000倍正確な「1秒」に相当するのだそうです。
 もはや筆者のような凡人には理解できませんが、寸分のくるいのない「時間」の登場といえるでしょう。
 そもそも「時間」は近代の産物だといわれています。それより前は「時間」はありませんでした。日の出とともに行動を始め、日没とともにその日を終えるという時間の流れだったわけです。ところが、産業革命で資本主義が発達してくると、封建社会から解き放たれた人が労働者となり、労働者の賃金の算出の基礎として、誰でもいつでも同じ「時間」が必要とされたわけです。
 宮崎駿の『魔女の宅急便』の中で、町の中心に大きな時計台が立っています。まさしく、近代の象徴なわけですが、他方、魔法使いという前近代的な主人公が活躍します。前近代あるいは「日本的」な物事の考え方の再評価といえるのかもしれません。
 授業は長いのに、飲んでいるときはやけに早く終電の時刻が迫ってきたり…。夏休みはアッという間に過ぎてしまうのに、試験期間は殊のほか長かったり…。本当は1人ひとりの時間の感じ方は違うはずなのに、誰でもいつでも同じな「時間」に合わせなければいけない。そのような戸惑いを感じることはみなさんもあると思います。せっかくのお正月なので、自分らしい時間で過ごしてみてはいかがでしょうか。
執筆:2005/12/24 朝顔
お早う、こんにちは、こんばんは、という普段何気なく交わされている挨拶にも深い意味が含蓄されている。

家族の者や家族の様に親しい人との間では、これらの挨拶は、少々形式的過ぎて他人行儀の様にも思われる節がある。
しかし、例えば、隣人や見知らぬ人、或は、自分より年上の人との間においては、実に挨拶は魔法の様に人と人との距離を近づける力を持っている。
幼少の頃に挨拶は強制的に習慣づけられたが、如何にも、齢をとってその意味合いを合点する。物事の真意とは、果たして処世の経験を踏んで始めて感得するものであろうか。

ところで、教育というものにある種の強制を伴うのは必然であるように思われる。
古来、教育のはじめは素読であったそうである。何も分からない五、六歳の時分から「論語」などの古典を何度も何度も朗誦させていたそうである。
昔の人はそれにより「論語」の文章も暗誦していたようであるが、殊に、道徳が退廃してしまった現代において、「論語」を新たに素読させるという事を一つの教育として取り入れてみては如何なものか。
尤も、「論語読みの論語知らず」という諺があるように、自分の経験に照らして、空文のうちに実のあることを会得する人は実に稀である。

しかし、人生何が起こるか分からぬ故に、「論語」の言葉が、時にシンフォニーが鳴る様に心に響くことは、決してないとは言い切れまい。道徳について何も土台を持たぬ現代の大人には、子供に道徳教える事は困難であろう。
それならば、こうした教育も意味があるのではあるまいか。
執筆:2005/12/12 朝顔
東京に来て、父と二人で生活を始めてもうすぐ四年が経つ。

これまで喧嘩は一度もなかった。
父に対して反感を抱いた事も、又、鬱陶しいと感じた事もこれまでなかった。
共同生活を送れば、どんな人でも相手に対して多少の不快感を覚える事はあるだろう。だが、父に対してそういう感情を持った事は一度もない。そればかりか、父の立派な点を、私は父と二人で生活するようになってはっきりと気付くようになった。
忍耐のない愛など存在しない、とは誰の言葉であったか。
ある大変有名な人が言った言葉には相違ないが、文句だけは非常に印象的であったから覚えている。私は父と二人で暮してから、この言葉の意味を得心するようになった。今は、はっきりと言える。「友人でも恋人でも、相手の事をいろいろ分析している人がいるが、そんな詰らない事は早く止めた方がいい。そんな事をしていても、いつまで経っても絆というものは深まらない」。 
執筆:2005/12/05 らいおん
ここ数年、法を犯して逮捕された容疑者が、自分から精神病歴を証言して、責任能力の不存在を主張する例が出てきた。最近では少女監禁事件の容疑者が記憶に新しい。

しかし、これに対して出てくる、精神病患者ならなにをしても許されるというのはおかしいという論調は、精神病患者はなにをしでかすかわからないというイメージの裏返しである。そして、日本における精神病患者差別の本質は、この「なにをしでかすかわからない」にある。
たしかに事実として精神病で自分の行動について善悪の区別がつかないなどといった場合はある。裁判で責任能力が問えないとして実刑を受けないこともある。ただ、それは刑務所に入れるよりも適切な措置があるということで、なにをしても許されるというのとは根本的に違う。
一口に精神病といっても、その症状は病種によっても個人によっても大きく異なる。その中の全ての人が「なにをしでかすかわからない」というわけではない。病気に苦しみながらも少なくとも法を犯すことはないくらいの判断ができる患者さんはたくさんいる。風邪の症状や重さが人によって違うということを考えれば、当たり前のことである。
しかし、精神病自体の日本でのイメージはすこぶる悪い。たとえば初対面の人に「精神科に通っている」と言われた場合、どういう印象を持つだろうか。そしてその印象を「耳鼻科に通っている」と言われた場合の印象と比較してみてほしい。どうだろう?
自分は差別などしない、と思っていても多くの人が潜在的な差別意識に縛られている。もちろん私自身だって例外ではない。おそらく自分との間に壁を作ってしまうだろう。それはなぜかといえば、なんとなく怖いからだと思う。
そう、なんとなくなのである。実は精神病とはどんな病気かということはほとんど知られていない。これらの病気の原因がわからなかった頃は、社会からの隔離ということが日常的に行われていた。そして隔離は原因がある程度解明した今も行われ、それが差別意識と無知をさらに拡大するという悪循環を生んできた。
だからきれい事だと言われても、あえてきれい事を言う。まず、向かい合うことから始めよう。理解することから始めよう。そうすれば、何かが変わる。差別をなくすためには、まず知らなくてはならない。差別は、私たちの心の中にある。
執筆:2005/10/27 貧乏人
あなたは「焼き畑農法」をどう思うだろうか。この農法で畑を焼き、日々を送る人々をどう考えるだろう。「技術的に未発達」の地域で行われている農法、某石油会社のテレビCMでいわれたように、森林破壊の元凶であるとされる農法。この農法にまつわる一つの体験は私に世界の未知の領域を示し、情報の恐ろしさを教えた。結論から言おう。「焼き畑は森林を破壊しない。」


もう二年も前になるか、私がインド南部のとある農村に滞在していた際の話だ。私が3週間住んだ農村は、地平線の端っこまで太陽が照らす半砂漠の草原の中にポツリとある。土地はやせており、作物の実りは貧困を招くほど悪い。しかし、その村の老人が言うところには、「ここは40年前までジャングルだったよ。トラだっていたんだ。」と、いうことだ。何がトラの住むジャングルを乾いた平野に変えたのか。そして、この村の伝統農法は「焼き畑」である。なるほど、原因はそれだ。それをまず改めなきゃね。私の「知識」と「教養」と「常識」とが総動員されてその結論をはじきだした。
だが、その結論に至った後でよく考えてみよう。伝統農法という単語が何を意味するか。伝統があるのだ。その地域では紀元前から焼き畑農法が何千年と行われてきたのだ。なのにジャングルは40年前までそこにあった。なぜだ。

植民地支配による農業的収奪。商品作物の収穫のための農地拡大と大量生産。この行為はそれまでのサイクルを断った。そして戦後になって先進各国の企業が進出し、広大になった農地でタバコや綿花、トウモロコシなどの商品作物を化学肥料を使って大量栽培する。その後で伝統的な方法で畑を焼いてみたら何も生えてこなかった。ふりかえるとジャングルは消えていた。これは焼き畑が原因といえるだろうか。なお、その土地のトウモロコシは日本企業により輸出されていた。
整理しよう。焼き畑農法そのものは持続可能なものである。しかし我々日本人の多くは「焼き畑=森林破壊」のイメージを持っている。なぜだ。たしかに現状に照らして考えると、やせきった土地で今後も焼き畑を続けていくことは不可能であり、また避けるべきである。だが、その部分ばかりが強調されているのはなぜだ。他の原因が切り離されて報じられるのはなぜか。

上の問いに対する個人的な仮説はここでは控えるが、自分の「常識」は時々疑ってみるのがよいかと。知識は転じて偏見ともなるものだ。それを学んで私は帰国した。「生きる為に畑を焼く人に、自然を守れという声は届かない。」コスモ石油のCMより。 …う~ん。
執筆:2005/09/16 「特殊相対性理論」
「小泉自民党に大勝をもたらした劇場型選挙が一種の『祭』ではなかったか」

という評論を目にした総選挙の翌日から遡ること一ヶ月。去る8月12~15日、徳島で盛大な「祭」が催された。ご存知「阿波踊り」である。

「祭」といっても、そんじょそこらの祭ではない。徳島市の人口26万人に対して、この時期徳島市に集う人数はなんと130万人。20万人が踊り、130万人が見入る。徳島駅周辺の道路は通行止めになり、様々な連(阿波踊りを踊るチーム)が所狭しと練り歩く。
ゼミの先輩Nの伝手で2年連続出場を果たした私は、改めて「阿波踊り」の虜になった。

「踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という有名なフレーズがあるように、「阿波踊り」には様々な「踊る阿呆」が参加する。

平日にも関わらず本店の下で踊りの練習に汗を流す阿波銀行連から、強烈な太鼓の音と切れ味鋭い団扇捌きが目立つ地元のチンピラ連、徳島発某有名宗教連もカラフルな浴衣姿で踊っていた。「かがみ連」という名の盆踊りチームがあったので話を聞いてみると、徳島の裁判所の面々だったことに驚いた。そういえば、駅前で「裁判員制度はじまるでー」と印刷された団扇を配っていたのも彼らであった。
※「かがみ連」の「かがみ」とは文字通り「鏡」のことである。真実を映し出すという意味合いを込めて、裁判所職員が「鏡」の付いたバッジを身に付けていることから。

先輩Nが「この時期休んでないのは、タクシーの運転手と警察ぐらいなんよ」と語っていた通り、本当に様々な人が踊っている。警備する警察官も、気のせいか踊りたそうな顔つきをしている。見かねて先輩Nが「この時期は高知の警察が代わって警備をやってもらえばええんよ。で、高知のよさこい祭りの時は徳島の警察が交換で警備をやれば」なんて冗談交じりに言っていた。

踊れる人間だけが、踊るのではない。二日目に見た「ねたきりになら連」という集団は車椅子の障害者チームであった。彼らはステップを踏めない分、両腕でリズムを取って必死に踊る。本当に楽しそうな笑顔が印象的であった。
祭りの最後には「にわか連」といって、連に参加できない観光客などが広場に集まって踊っているのを目にした。終日「阿波踊り」を見ていて、我慢できなかったのか凄まじい勢いで踊る。「見る阿呆」から「踊る阿呆」に変わる瞬間であった。

この様子を観ると、年に何人か「阿波踊り」の魅力に取り憑かれ、徳島に移り住む人がいるという話にも説得力がある。年に一度の「祭」のために、徳島に腰を据えるというのである。それほどに「阿波踊り」は魅力的である。一緒に踊った関東出身の友人が「この祭って、絶対徳島の過疎化止めてるよな」と真顔で感心していた。

私はというと、もちろん阿呆なので、大学生連に交じって参加させてもらった。演舞場や道路を「やっとさー、やっとやっと!」の掛け声とともに踊り歩く。「阿波踊り」は年季がいるようで、私の手足はばらばらで終始不恰好な踊りであった。街頭のお客さんからは「ちゃんと踊れ~」などと野次られたが、同じ阿呆なら踊らにゃ損なので精一杯「踊る阿呆」になったつもりだ。
執筆:2005/08/30 エイコ
今年もアツい高校野球の季節が終わりました。と思ったら、にわかに始まった総選挙でアツさがぶり返してきそうです。高校野球と総選挙、実は意外なところで接点があるのです。

筆者が現役高校球児だったときは知らなかったのですが、各都道府県によって高校の数に大きな差があります。甲子園への切符を手にできるのは、各府県1校(東京と北海道は分割され2校)です。今年は4137校が参加しましたが、最も参加校数が多い県は神奈川で195校(筆者が現役のときは史上最多の205校)。逆に最も少ないのは鳥取で22校。鳥取と神奈川の「1校の格差」は8.864倍です。試合数も鳥取は5試合勝てば甲子園に行けるのに対し、神奈川では8試合勝たないと夢の舞台にはたどり着けません。
今春、とある地方の市議会議員選挙の手伝いをしました。実際の選挙活動に参加し、ウラを垣間見られたことは非常に有意義でした。何よりも身をもって実感したのは、1票を投じてもらう、1票を得ることがこんなにも大変なのだということです。選挙速報では無味乾燥な数字だけが並んでいますが、1つひとつの票はとてつもなく重いです。この重さは訴訟を起こす市民団体よりも政治家のほうがはるかに感じているでしょう。
さて、前回の総選挙でさえ「1票の格差」は最大で2.064倍でした(ちなみに前々回まで私の住んでいる神奈川14区がもっとも1票の価値が低い選挙区でした)。こう見ても、また自分の経験からしても、「憲法違反だ」と言いたくなります。高校球児の幸福追求権と言ったところでしょうか。法理論的に考えればとても困難ですが、1人でも多くの高校球児に甲子園の土を踏んでもらうためにも、高野連には是非とも知恵を絞ってもらいたいです。
「1校の格差」があるとはいえ、各都道府県の代表としてプレーする高校球児の汗と涙に差はありません。総選挙で選ばれた国会議員と同じことです。今年もどの代表校もはつらつとしたプレーを見せてもらい、元気をもらいました。駒大苫小牧のみんな、おめでとう!
執筆:2005/08/26 みなそこ
「You cannot use “delicious”」

Tutorial English の講義、Unit9、今日のGoalは“Describe food”
寿司、天ぷら、団子・・・様々な食べ物の味を伝える練習の合間、私の講師はそう告げた。

おいしい、かわいい、すき は思考を停止させる。
(まずい、きもい、きらいも多分同様、最近はきもかわいいなんて言葉もあるが)

「このお菓子が美味しい」
「この猫は可愛い」
「この役者さん好き」

そう告げれば理由を尋ねられることは少ない。

「なぜおいしいの?」(どうしてあなたはそれを美味しいと感じるのか)
「なぜかわいいの?」(何があなたをそれが可愛いと感じさせるのか)
「なぜすきなの?」(あなたの中の何がそれを好きと感じるのか)

例えば自分の中にある一つの「好き」を取り出してとことんまで理由を追ってみる。
なぜ~の先にある無限の理由を突き詰める行為は結構愉しい。
さてそれはなぜだろう?
執筆:2005/08/12 朝顔
「私は私が無限の体験をすること即ち真に純粋になることが極めて稀であることを告白しなければならない。………私の感情はたいていの時生産的創造的であることをやめて、怠惰になり横着になって、媚びと芝居気に充ちた道楽をしようとする。私の意志は実にしばしば利己的な打算が紡ぐ網の中に巻き込まれてしまうのである。

 かようにして私は、個性が揺籃と共に私に贈られた贈り物ではなく、私が戦いをもって獲得しなければならない理念であることを知った」

 これは、三木清の『人生論ノート』という本の、「個性について」という章の中で書かれてあった一節である。さらに、この本の後記にはこのように記されてある。これはちょうど私が四十歳ぐらいの時に書き始めたものだが、「個性について」という一篇だけは、大学卒業の直前に書いたものである。二十年前に書かれたこの幼稚な小論を自分の思い出のためにここに収録するという我儘も、本書の如き性質のものにおいては許されることであろうか、と。
 三木清が、自分の学生時代に書いた小論をわざわざ本書に収録したのは、単なる虚栄のため、というものでは断じてなかったろう。ここには、青年三木清の人生に対する覚悟が、むき出しのままの彼の思想が、信念が、簡明率直な形で刻印されていたのである。 個性は戦いをもって獲得しなければならない、人生とは、戦争である。青年時代に抱いた彼の信念は、決して空想ではなかった、齢経る毎にそれは確信へと変わっていったのであり、『人生論ノート』の最後にこの一篇を置いたのも、最初に掲げたこの決意が、おそらく生涯彼の変わらぬ思想であった事を意味していたからであろう。私はこれを読んで感服したのだが、人生に対する同様な覚悟は、凡そ一流思想家の経験するところであると思われる。思想家というと、異様の者のように、まるで自分とは別世界の住人と思う人もいるが、決してそうではない。彼等は全身全霊でもって人間としての宿命を生き抜いているのだ。

 ひとは「自己を滅することによって却って自己を獲得する」以外に、道はない。
執筆:2005/08/05 しゅう
隣家の茂みの中に片羽のカラスがいる。去年生まれたばかりで、巣立ったのか、落ちたのか、去年の秋冬はその茂みの中から、まだ覚束ない鳴き声がきこえていた。カラスを含め野鳥は、飼ったり、えさをやったりしてはいけない。その片羽の子ガラスは隣家の飼い猫のえさを失敬して、冬を越したようだった。


 この春、ある光景があった。ほかのカラスが片羽のカラスを攻撃していた。その時期は、子育ての時期で、人間もなるべく巣に近付かない方が良い。片羽のカラスも、巣に近付く敵と誤解されたのかもしれない。巣の高さまで飛べるはずもないのだが。彼を攻撃したカラスが、彼の実の親でないことを願った。

「カラスを飼ってはいけない」
「カラスにえさをやってはいけない」

 隣家の塀の横には植木がある。ある日、塀の上のえさを目指して、片羽のカラスが、植木を跳び移っていた。跳躍距離、高さ、ともに60センチというところ。えさを啄ばんだ後、彼は近くの竿の上に跳び、少し移動して落ちた。落下速度をおとすために広げた、右の羽はなかった。
執筆:2005/07/29 石井雄一
『日本人はなぜ富士山に登りたがるのか?』。この問いの答えを探すべく(?)、7月20日~22日にかけて(株)電通の伝統行事、「第78回電通富士登山」に救護班のスタッフとして参加した。約280名の新入社員が登山をし、それを約170名の登山委員が設営班、救護班、頂上班、広報班などを担当しサポートする、壮大なイベントである。


▲7月20日。午後電通本社前に集合し、バスにて富士山の麓の旅館に向かった。着いて早速、救護班の備品を山小屋ごとに仕分ける作業に当たる。私の担当は本7合目で、他の社員の方と一緒に作業に当たった。夕食後、班の会議もそこそこにオールスタッフミーティングと称する宴会が始まった。以前、登山の前に酒は禁物と聞いていたが…“かんぱ~い!”。恒例の救護班全員による自己紹介。電通人を前に、ウケ狙いの自己紹介は非常にハードルが高い!

▲7月21日。6時に起床し、朝食を済ませ、歩いて浅間神社に行き、祈願。俣木社長の号令と共に、須走口に移動し、登山を開始。委員は、新入社員が登山を開始する前に山小屋に行き、準備をしなければならない。9時に登山を開始し、本7合目に15時に行くようにと言われていたので、十分頂上に行ってこられると思い、頑張って頂上を目指した。しかし、酸素が薄く時間も無く、やっとの思いで頂上に登ったおかげで何の感動も無かった(笑)。時計を見ればあと1時間以内に本7合目まで下りなくてはならない。滑るように下り(実際こけた)、40分で着いた。

▲実はここからが今回の登山の本番で、下から必死の形相で登る新入社員に声をかける。スタッフというよりは見学者的な感じだった。登山者は、各山小屋で通過のチェックをスイカのようなシステムで受ける。また、無線で各山小屋、本部が連絡を取り合う見事な連携を目の当たりにした。これが、事故が一度も無い所以だと感じた。そして、21時には全ての登山者が山小屋に入り、終了した。

▲7月22日。2時に起き、本7号目に泊まっていた登山者を送り出したら、ご来光まで待ち、万歳をした。なんとも、日本らしい光景である。そうこうしているうちに、すごいスピードで下山が始まり、下山誘導を行った。社員の方によると、彼らは登りもその後の名誉に関わるし、下りは早くバスに乗って帰らなければならないという脅迫観念に追われているらしい。

▲6時半にはスタッフも下山を始めた。下山口で、俣木社長が迎えてくださり、記念撮影、握手をしていただいた。就職先を伝えると、電通の取引先なので今後もよろしく、言われた。そして、しっかりビールを飲んで昼頃に東京に帰った。

▲社員の方とも話したのだが、富士山は遠くから見ると綺麗だが、登っているところは岩と砂ばかりであまり綺麗ではない。それなのに、毎年多くの人が登る。それは、日本一の山でありながら1日や2日で登れるという手軽さにあるのかもしれない。私は、富士山はいろんな意味でコミュニケーションの場であると思う。登山者同士はもちろんのこと、富士山ともコミュニケーションしていると感じた。はたまた、天国に一番近いと言われている故に死者とのコミュニケーションもできるのではないか。日本人が富士山に登りたがるのはこうした理由からかもしれない。しかしながら、実は私は、富士山に登りたいという本能的な欲求が日本人の中にあるのではないかと密かに思っている。

※今回の電通富士登山は、本7合目の他のスタッフの方に恵まれ、非常に楽しい思い出になった。私の表現力不足から、まだまだ書き足りず、稚拙な文章になってしまったのが残念である。しかしながら、改めて、電通の社員の方、そして(株)電通のご好意に感謝したい。
執筆:2005/07/22 石井雄一
“ケータイは生活のあらゆるシーンに”。という、とってもわくわくするキャッチコピーで有名のDoCoMo。将来は買い物も、電車も自販機でジュースを買うのも、さらには家の鍵までケータイで。なんとも便利な世の中が来そうである。


▲先日DoCoMoの“おサイフケータイ”について講演があった。マーケティングの授業の中での講演であったので、マーケティングという観点からの話であった。例えば、コカコーラの自動販売機。ケータイをかざすだけで、ジュースが買えてしまう。ケータイで買ったジュースのお味もなかなかだそうだ。チンパンジーもびっくりである。マーケティング的には、何十代の男性or女性が、何を何時に買ったかというデータが取れるらしく、消費者の趣向が正確に掴め、新製品が出たときも購買者層にピンポイントにメール等でアプローチできるという利点がある。何とも画期的。

▲さて、サイフやクレジット機能、鍵などが全部ケータイになってしまうと非常に怖いということはお気づきだろうか?「確かに、落としたときに誰かに拾われて悪用されたら…」。なんて、考えた人はおめでたい人である。昨今のクレジットカード等の個人情報流出の報道からしても確かに、落としたときの危険は恐怖かもしれない。しかし、ご安心あれ。そういった、セキュリティはやはり誰もが心配すること故に、DoCoMoもしっかり対策をしているようである(ただし、万全とはいかないが)。

▲では、何が恐ろしいのだろうか。それは、ケータイがストーカーのような追跡性・監視性を持ってしまうことである。世の中の事柄を“おサイフケータイ”で行うと仮定する。朝、○時○分に家を出、○時○分の電車で町田から新宿に行き、途中のコンビニでおにぎりとお茶を買い、2限の授業に出席、お昼は学食でカレー、夜は居酒屋○○で飲み会、○時○分の電車に乗り、○時○分に家に着く。この一連の自分の行動を知っているのは、自分だけだと思いきや、全て行動を共にしたケータイも知っているのだ。カワイイケータイだから何とも思わないが、この行動把握を、隣の人がしていたら…。何とも恐ろしいことである。

▲便利な世の中になるにつれて、我々は何か大切なものを失っているのではないだろうか。“便利”、というだけでそれに飛びついてしまうのは要注意である。茶封筒で給料をもらっていた、なんていう時代に私は生きてないが、時々日払いバイトで現金を渡されたとき、ふと、お金の大切さに思いを馳せるのである。
執筆:2005/04/13 ヨロボシ☆
 近年、「和」ブームがきているといわれる。

そこかしこに和紙を使った商品や、桜・侍・扇などをモチーフにした商品や広告があふれている。 着物を日常的に着るようになった人たちもよく目にするようになった。
日本で日本のものが目に付くことは、何もおかしくはないではないかと思われるかもしれないが、しかし、その売り出し方、捉え方について違和感を覚える。
たとえば、「ハリウッド映画にも取り上げられた」武士道、「世界遺産に登録された」能楽、「ジャパネスク」等々の表現。こうした表現の評価基準は、海外で認められた、という点にある。極端な言い方をすれば、世界の人がいいといっているから日本の文化はすばらしい、という見方である。
確かに、違った文化を持つ人びとにも評価されるということは素晴らしいことだろう。しかし、日本人が自分の国の文化について、他の国の人々の物差しでしか自国の文化を評価できないのだとすれば、とても不幸なことではないだろうか。
 このような評価の仕方をしていくことは、いってみれば、日本文化を外国から逆輸入しているようなものだ。
おなじ桜を撮った写真でも、海外の雑誌に載るものと日本で見るものは違う。過去の日本人の作ったよいものを海外のフィルターを通して見ることは、海外の評価の仕方を学ぶことにはなるかもしれないが、生きたかたちで、日本のものをよいと思える感覚を失っていってしまうことになりかねないように思う。
また、「和」というと「古いもの」という感覚がついてまわるようだが、そこには、日本文化を自分自身と切り離し、フィクションと捉える感覚が現れているように思う。
しかし、実際のところ、日本の伝統文化は現代も続いているし、また今の日本人である私達がつくっているものでもあるのだ。能もしかり。
 なにも伝統文化を学ばなければならないとか、歴史を研究するとかたいそうなことではない。
ただ、もっと自分の内側にある感覚、生活の中で、日本人として大事にしてきた感覚を自分自身で見つめなおし、大事にしていくことが、もっと生き生きとして豊かな文化を育んでいくことにつながるのではないだろうか。
たとえ欧米の人々が首を傾げてもいい、あんぱんに桜をのせたこころ、そんな素朴な感覚を自分の中に見つけてみることは、きっとグローバルな社会の中でも、それぞれが自分らしさを失わずにいくちょっとした助けになるだろう。