ゼミ生コラム

7・8期(2004年度)

執筆:2004/12/25 丘の上
 政府は去る12月10日に、新しい「防衛計画の大綱」の閣議決定に合わせる形で、武器輸出3原則等の見直しを決定した。主な内容はアメリカとの共同で進めているミサイル防衛に関する共同開発と生産を3原則の例外とするほか、アメリカとのミサイル防衛以外の共同開発・生産ならびに「テロ・海賊対策などへの支援」という名目でアメリカ以外の国へも「個別の案件ごとに検討し、結論を得る」として輸出を可能にするものである。従来、日本は政策としてアメリカへの技術供与を除き、武器輸出を禁止してきた。今回の決定はこの政策を転換するものである。つまり武器の輸出を大っぴらに行うことが出来るようになるわけである。

 今回の決定は大きく分けて三つの要因によるものであるとされている。一つはミサイル防衛などによって日米安全保障体制の強化を目指す政策の一環であり、二つ目は「テロ対策」、そしてもう一つは欧米を中心に多国間による兵器の開発・生産が一般的になりつつある中で、競争に乗り遅れることを懸念した経済界の意向である。私はこの全てに対して疑問を持たざるを得ない。
まず日米安全保障体制の強化の一環として武器輸出3原則を見直すということであるが、何のために体制を強化するのかという点を熟慮する必要がある。日米安全保障体制はもちろん日本の安全のために締結しているものであり、実際に国際政治上それが日本の安全に一定の役割を果たしてきたと考えることは出来る。ミサイル防衛自体は北朝鮮のミサイル発射などが行われたことを考えれば安全確保の手段として自分でも考えたくもなる。
しかし、日米安全保障体制に限定するとは言っても、日本が武器を製造し、輸出するということの一歩を踏み出すことが、巡り巡って日本の安全を脅かすことになることはないだろうか。クローバル化の流れは加速する一方である。世界のどの地域の紛争も世界中に影響する。一度武器を輸出した後にどのような使われ方をするのかということはもちろん分からない。武器があるがために戦争が引き起こされることもないとは言い切れない。私には武器を輸出することが平和の構築に貢献するという論理に十分な説得力があるとは思えない。
また、安全保障の強化という名目での武器輸出を行うことによって日本がこれまで「平和国家」として築き上げてきた信頼がこれからも確保されるのかということは考えられるべきである。口では平和国家を唱えながらも、「対テロ戦争」を不十分な理由で国際社会の合意のないままに進める国と兵器の開発、製造で協力している国の「平和」に十分な説得力を感じることは難しいという見方も全く的外れとは言えないであろう。
「テロ対策」としての見直しについても、テロのためという大義によってこれまでの禁止という選択からなし崩し的に武器の輸出が出来ることへの懸念は発生せざるを得ない。さらにもっと本質的な問題として果たして武器輸出が本当にテロを防ぐための対策になりうるのかということに対して、私は強い疑問を感じる。テロを武力で押さえ込もうとしているパレスチナやイラクの現状を考えれば少なくとも武器輸出によってテロ対策が達成しうると考えるのは安易過ぎる。現実的には武力が必要な面もあるかもしれない。しかし、それが果たしうる役割は「テロ対策」のほんの一部に過ぎないということをよく認識しなければならない。「テロ対策」としての武器輸出という選択を行う前に、武力による「テロ対策」がどういう結果をもたらしているのかということにしっかりと目を向ける必要がある。
経済界の競争に乗り遅れるという主張も当事者にとっては切迫した問題であろう。しかし根も葉もない、かつ一面的な言い方ではあるが、軍需産業は「死の商人」である。自国の防衛のための武器製造ならばまだ正当化の余地はある。しかし武器によって経済の発展を目指すことを重視するのか、それともそれによって引き起こされる悲劇に対し十分な想像力を働かせ、輸出をしないという慎重な姿勢から平和を創出する道をとるのかという選択は生半可になされてはならないと思う。
 日本は第2次世界大戦における自らが引き起こしたアジア諸国への惨禍と自らのあまりに多すぎる犠牲を教訓に二度と戦争をしないということを出発点に戦後を歩んだ。そして、様々な変容を経つつも平和憲法を持ち、軍隊によって誰も殺さないという平和国家を今日まで貫いてきた。あれだけ軍国主義の嵐が吹き荒れた国で60年間戦争が起きなかったということが、他ならぬ日本国民の平和への強い志向とそれに伴う努力と決断によるものであったことは忘れてはならない。また、日本は唯一の被爆国として核兵器の廃絶など、一貫して世界に向けても平和を訴えてきた。私も中学生だった頃、1997年に当時の小渕外務大臣が対人地雷全面禁止条約に署名したことをよく覚えている。今も国連などで小型武器の制限を主張する平和国家としての外交を行っている。これらの行動は国際社会における日本の信頼構築に貢献してきた。そして戦争が絶えないという厳しい現実の中でたとえ小さな力しか持たないものであっても、確実に世界の平和に向けて貢献してきた。
一方で世界はテロリズムとそれに対する予防戦争によって収拾がつかなくなるかもしれない状況にある。3千人が犠牲になった9.11をきっかけとして、テロの脅威の予防を掲げたイラク戦争においては数万人とも言われるイラクの市民、千数百人のアメリカやイギリスの兵士が亡くなっている。テロは憎むべきものであるが、「対テロ戦争」での犠牲はどう考えればいいのか。テロの犠牲者にもイラク戦争の犠牲者にも、それぞれの生活、人生の楽しみ、希望、そして夢があったはずである。犠牲者の家族の愛する人を失った絶望や負傷で人生が変わった人が毎日苦しみ続ける葛藤は言葉によって表すことなど出来るはずがない。
日本もまた「テロとの戦い」という名目の下自衛隊をイラクに派遣した。それで今回の3原則の見直しである。これらの行動が日本を含めた世界の平和に本当に結びつくのかということは注意して判断しなければならない。「平和国家日本」の後継者である私たちはこれからどんな選択を行うべきなのだろうか。私は平和を希求しそれに世界が少しでも近づくために武力以外の方法でひたすら努力し続ける国家、そういう国にしか出来ないことがきっとあるのではないかと思う。
執筆:2004/12/19 朝顔
 ある時、小林秀雄が私の前に突然現れた。すると、彼はいきなり私に向かって怒鳴りつけたのだ。その時私は手も足もでないばかりか、言い返す言葉さえなかった……。

 私が小林秀雄に出会ったのは、今からちょうど一年前である。電車で群馬に帰郷する折に、退屈しのぎに読もうと思って池袋の大きな書店で偶然手にした本が、小林秀雄の『信ずることと知ること』であった。私と小林秀雄との出会いは、この偶然から始まった。今思えば、この出会いが偶然だったというよりも、むしろ必然に思えてならない。現在、新潮社から小林秀雄全集が単行本で出版されているが、私が読んだのはそれではなく、全集の中から選集されたものであった。ここで紹介したいところだが、今その本が手元に無いためどこの出版社のものか分からない。私は今でも覚えているが、目に涙を溜めながら帰りの電車の中でその本を読み入っていたのを覚えている。此の時、今までに覚えた事のない非常な衝撃を受けたのだ。小林秀雄は少々晦渋な作家として知られているが、それは小林の書くものが逆説的であるからかもしれない。私も初めて読んだ時はその内容の意味するところはよく理解できなかった。しかし、人間とは不思議なもので、よく理解していなくても感動はするものである。この時は別段、文章が論理的で分かり易すいとは思えなかったし、親近感が沸いたとかいう感覚もなかった。ところが、文の裏側にいる小林秀雄という一人の人間の美しさに私は自然と感動してしまったのだ。内容そのものは判然としていない、だが気がついたら小林秀雄の魂が眼前にあって、私の頬には一粒の涙が流れていたのだ。実に不思議な事である。それまでも本はよく読むほうだったが、こんな体験をしたのは全く初めてであった。美は人を沈黙させる、それというのも美には或る感動があって、それを語ろうとする衝動は抑えがたくも、口を開けば嘘になり人は止む無く沈黙せざるを得ないのだ、と小林はどこかで書いていたが、小林の書いた作品は美そのものである。
 小林秀雄の言葉は今日生きる私の心にも強く響いてくるものがある。勿論、私だけではない。今日に至っても、新たに第六次小林秀雄全集が刊行されている所以は、彼が多くの人から愛され、また多くの人を魅了する力があるからだろう。成る程、小林の書いたものには普遍性がある。しかし、彼は果たして最初から普遍性という怪物を狙っていたのだろうか。それは否である。小林は飽くまでも己の思ったことを率直に語っただけであった。それが結果的に普遍性という道を辿っただけである。小林秀雄は己に正直な人であった。素直な己の心を知るまで決して「私」を語らなかった人である。小林にとって生きるとは己を知ることであった。私は思うのだが、己を知るとは心が豊かになる事だ、といっては間違えだろうか。心が豊かになるとは、自分の嗜好を発見する事だ、といっては間違えだろうか。嗜好を得るとは、或るものを知るということであり、あるものを知るには、己の心を虚しくしてその対象物に這い入ってみなければならない。其の時、そこでの精神と精神との純粋な対話によって己の嗜好を得たとき、「私」という一性質を発見するのである。ところが、世間では人それぞれ持っている嗜好というものは相異している。勿論、人それぞれ嗜好は異なっていて当然である。だが、嗜好一つ取ってみても、そこには質的な相異があるものである。例えば、小林のように「私」を持ち、心が豊かな人ほど、嗜好は常に溌剌としていて、それは深く「美」と結びついているのだ。自分の気持ちに素直に問いかけ、その心の紐を解いていくと、そこには必ず美があるのではなかろうか。真の自己とは、実はもっと深いところに存在し、それを発見するには自分だけが頼りである。私を発見するには、そう信じていれば足りるのだ。おそらく、小林秀雄はこう自分を信じて真直ぐ生きた人であった。彼の書いたものに普遍的なものがあるのは、すなわちこの点である。彼の考え抜いて得た「私」や「私の嗜好」が、必ず「美」と結び付いており、それが人々に共感を与えるのだ。ということは、またこうも言い換えられる。すべての者に美意識があるからこそ、美というものに人は共感でき小林の言葉に共感できるのだと。嗜好は人それぞれ異なる、それは、人それぞれ美を求める道も異なるという事だ。しかし、道は人の数だけ存在するが辿り着くところは一緒である。これが、ゲーテの思想がシェイクスピアの思想と衝突しない所以であろう。偉大な思想家とは、ある種己の嗜好を極めた達人哉。誰にも自分の美意識というものを持っている、その美意識と嗜好とが結びつくまで考え抜く人が稀なのだ。
最後に、小林は「政治と文学」の中でこんな事を書いている。「私達めいめいが個性の魅力を保持していなければ、真の友情は起こり得ない事も解り切った事である。友と共感するために己の何かを捨てる必要はないように、芸術作品に対しても、人々は自己流にしか共感しない。芸術作品は、各人の自己を目覚めさせる事によって、人の和を作り出す。文学者や芸術家は、こういう性質の普遍性しか本当に信じてはいませぬ。この信念は当然、説得や論証による人々の一致に関する疑念を蔵している」。
もし、自分を探している人、何者も信じられないと思っている人、小林秀雄を一読することを勧める。「私の人生観」など手始めに読んでみるといいでしょう。きっと、私のようにガアンとやられて、手も足もでなくなる人もいるだろう。また、私たちの科学的思考なり習慣なり教養なりの下で眠っている美意識というものを彼が叩き起こしてくれるに違いない。そして、小林は君にこう忠告するのだ。
「君は君自身でい給え。一流の思想家のぎりぎりの思想というものは、それ以外の忠告を絶対にしてはいない。諸君に何の不足があると言うのか」と。
 一例だが、作家であり小林の親友であった今日出海氏が『わが友の生涯』の中で小林秀雄のこんな逸話を語っている。
小林はよく人を泣かせていたそうである。その話の中の一例で、「これは有名な話だが、日本語のわからないアメリカ兵をバーで泣かせたこともある。日本中がアメリカ兵を見れば、ヤンキー・ゴーホームといっていた頃だ。小林君は、むろん日本語しか使わない。彼はその米兵に諄々と語ったらしい。『君はその若さで、お国の親兄弟とも離れ、わざわざこんな東洋の島国へ来て、しかも守ってくれている。寂しいだろう。それなのに、日本人はヤンキー・ゴーホームなんてシュプレヒコールをやっている。腹が立つだろうが、我慢してくれよな』
 そうしたら、以心伝心、米兵が泣き出したというのだ。」
執筆:2004/11/11 tethys
 4年ぶりのアメリカ大統領選挙で自国の組閣よりも沸き返っている日本のメディアは、選挙前夜も大騒ぎだった。そんななか某有名な報道番組をそれとなく見ていて驚いた。ブッシュ大統領の「強さ」を、「宗教」というキーワードで語っていたのだ。「ブッシュ大統領は熱心なキリスト教信者であり、その信仰心ゆえにアメリカのキリスト教徒の絶大な支持を得ている」と。そして、自らの信仰を理由にブッシュ大統領を支持すると証言するアメリカ国民を次々に映し出す。「信仰心あつく、高貴な人」。そんな評価が、かの大統領に向けられる。日本ではだいぶ前からよく出てくる話だが、私は、このような報道が何の疑いもイクスキューズも無くすんなり受け入れられてしまうであろうことに大変な危機感を覚える。

 「9.11事件」後のアメリカに象徴的な"God bless America"という言葉と、恐怖と不安の象徴として定義された「イスラム教原理主義」という言葉がからみあい、あの日ツインタワーを襲った「テロリズム」があたかも「文明の衝突」(S.ハンチントン)の幕開けであるかのような言説が一部言論空間を席巻した。その流れに乗って、ブッシュ大統領の「対テロ戦争」を批判したい文化人たちは、「ブッシュはキリスト教原理主義だ」というテーゼを持ち出した。あたかも、彼の、アフガニスタン空爆に始まる一連の「対テロ」政策がキリスト教の教えに基いており、彼のキリストに対する信仰心がそうさせているかのように。
 恐るべき誤解である。キリスト教はいつ「アメリカとアメリカを援けるもの」だけに「神の祝福」を約束し、ショーヴィニズムかジンゴイズムのような排他性と抑圧を奨励し、「神の名の下に」他国の体制転換を正統化することを教えたというのだろうか。こんなものはご都合主義的な選民思想であって、キリスト教とは遠くかけ離れている。この一連の政策を「神の教え」と正統化しようとしたとき、ブッシュ大統領は歴史の逆走を始めたのだ。
 キリスト教は明確に、「神を利用してはならない」と説いている。しかし、人間の歴史を顧みれば、政治体制の指導者が宗教を利用し、歪曲し、多くの血を流してきた。彼らは神の名をかたり自らを神と一体化させることによって、法的・政治的な責任を相対化し、自らの絶対性と「正義」を主張しようとしたのだ。神の名を冠した「植民地の時代」の帝国主義思想、また、ナチスドイツのヒトラーが、ユダヤ人を絶滅させる「正当な理由」として聖書を「つまみ食い」的に引いたのは有名である。だが、その悲劇的な仮想神話が崩れ去るには、長きを要しなかった。「法による平和」を選んできたもうひとつの歴史の流れが、それを許さなかったのである。当該報道番組は、ブッシュ大統領は歴代どの大統領より巧みに、宗教用語を演説に取り入れているという分析を紹介していた。また、ブッシュ氏の支持基盤や政権に「政治的」影響力を持った「宗教指導者」が、ケリー候補をこき下ろしブッシュ大統領の政策を絶賛している様子も映し出していた。これこそ、歴史が否定し続けてきた「神の利用」への逆走に他ならないのではないか。しかも、そのような事態が「9.11事件」以降「宗教指導者」と呼ばれる人たちによって拡大再生産され、彼らの行動がかの「政治指導者」と相補的に機能し効果を発揮しているところに、私はアメリカの「病理」を感じる。
 「文明の衝突」であると言ってしまうのは容易い。そう理解することで「仕方ない」と思いたい進歩的文化人もあろうが、水島教授も講義で紹介していたフランスの一流誌Le 
Monde Dipromatiqueは、「千年戦争の始まりである」としてこの間の言論空間の流れに警鐘を鳴らしている。世界は、これがあたかも「文明の衝突」であるかのように「信じかけている」と。しかし、「近代自由主義=文明=西欧キリスト教」と、「近代自由主義でない=野蛮=イスラム教」といった恣意的な定義づけにより、「我ら」と「彼ら」の間にラインを引き、分断することを望んでいるのは誰か。持てる者と持たざる者との桎梏という「古臭い概念」を手放すことによって利を得るのは誰なのか。それは、一部の政治家、クラウゼヴィッツ的な戦争を望んでいる者たちだけである。こういう「彼ら」と「我ら」を、政治的な目的をもって、あたかもその最大の原因が価値観にあるように「装って」二分しようとする姿勢こそ、終わったはずの「植民地の時代」の再来に他ならないだろう。
 大統領選挙を終えてもう一度私が主張したいのは、「9.11事件」に始まる一連の経過とアメリカの政治、これは決して「文明の衝突」ではない、ということだ。これはいわば「文明」を語ったイデオロギー政治の、植民地主義的な自己満足である。
そのような意味でも、同誌の「イデオロギー的キャンペーン」とはまさに言いえて妙である。「文明の衝突」と信じてしまったときに私たちの前にあらわれる「千年戦争」――終わりのない神の利用闘争の帰結が、「既存の無秩序をさらに強めることにしかならない」ことは11月9日のファルージャを見れば明らかである。確かに、ブッシュ大統領はプロテスタントのメソジスト派教会に所属している。「尊敬する哲学者」はキリストであると答えた。しかし、聖書を「つまみ食い」するような人物によって安易にそして選民思想的に語られる「神」の名に縋る前に、かの大統領の見据えるべき政治家としての本質は他にある。「価値観valueで彼を選んだ」と言っている有権者もまた、利用された政治的ファクターに過ぎないということを看過すべきではない。今こそ、本質を見据えた議論が求められているのである。
執筆:2004/04/21 下足
3月12日の在日コリアン分科会、それから1班の発表で嫌がらせを受ける在日コリアンの側から、なぜ在日コリアンに対する嫌がらせがおこるのか、ということを考えてみた。

すると、わたしたちの社会の排他的な面がどんどん目に入ってきた。

その象徴的なものとして、わたしたちが日常的に使っている「日本人」という言葉を挙げたい。

この言葉を見て、あるいは聞いてアイヌ人や在日コリアンのことが頭に浮かぶ人は少ないだろう。
「日本人」という言葉の中にアイヌ人や在日コリアンが含まれないとするなら、アイヌ人に対して「日本人」、在日コリアンに対して「日本人」というように
この言葉がある特定の民族を指す言葉として使われているのかと言えばそんなことはない。
「日本人」という言葉がアメリカ人に対しての言葉として使われることがあるからである。
ご存知の通り、アメリカは多民族国家と言われている。
だからアメリカ人は「アメリカ」という民族の人たちという意味ではなく、「アメリカ」という国の国民という意味である。
ということは、「日本人」という言葉は日本という国の国民という意味も持つことになる。
しかし、アイヌ人の国籍は日本であるし、在日コリアンの中でも日本国籍のものが多い。
(そもそも在日コリアンの定義自体が難しいが)
にもかかわらず、わたしたちが「日本人」という言葉を使うときはそこにアイヌや在日コリアンの存在はないのである。

それでは、「日本人」とは一体誰を指しているのか?

このお題に対する明快な答えを私は持ち合わせていない。
しかし、この言葉が極めて曖昧であることはたしかだ。
わたしは「アイヌ人や在日コリアンは日本人だ」「日本人という言葉の中にアイヌ人や在日コリアンを含めるべきだ」などと言いたいわけではない。
ただ、この象徴的な言葉が、わたしが日常的に、無意識のうちにアイヌや在日コリアンを無視しているのではないかということを示しているのではないかということを示しているように思われるのである。

在日コリアンに関する差別について勉強したことで、このようなこの社会の排他的な差別の構造を垣間見ることができた気がする。
しかし、今回の一番の財産は在日コリアンの友人ができたことだ。
彼らと会って話をする度に、自分が無意識のうちにしていた色めがねが無くなっていく気がする。
社会的な差別構造を失くすことは難しいかもしれないが、個人個人の差別意識を失くすことは意外と簡単なのかも知れない。