ゼミ生コラム

6・7期(2003年度)

執筆:2004/03/28 (ぴん)
(3月25日昼)


今近所の大きな公園に散歩しにきてる。

今年も3月。暖かくなり、桜が咲いた。

桜の下に人々は幸せな一時を食べ、飲み、呼吸してる。芝生場には家族連れや恋人達が織り成す幸せな景色がひろがってる。何の代わりばえもない、とある公園の春の一コマ。

あ、春だったんだ~。
って、何気ない風景の中に、春を見出だしたおれがいて少しホッとした。

実を言うと、今年は春が来ないんじゃないかと、馬鹿みたいだけどちょっと不安に思ってたことに気付いた。ホントに馬鹿としか言い様ないけど。でも、少なくとも、今年は自分は春を感じ取れないんじゃないかとちょっとだけど心配してた。

世間じゃなにかと春はただ幸せの象徴のように描かれる。
けど、おれに言わせると、春って、なんかこぅ、なんつ~か、ね。春って待ちわびていた何かに対する答えのようなものを得ることのような気がする。その答えってのは、人だったり、もしくはものないしことだったり。とまぁ、春のイメージってそんな感じ。

誤解しないでほしいのは、春は何か具体的な1つのモノだって言ってるんじゃないってこと。こうでなければならない春なんてありえないし、春そのものも特定の意味は持ちえないって考えてる。だから、人によって千差万別のスタイルがあるハズ。要は、春に限らず季節って日常のできごとからひとり一人がそれぞれの価値観を通して何かを感じ取るコトだと思う。

とにかく、おれなりのイメージから言うと、去年とちがって待ち焦がれる人も、ものも、こともないと思っていた今年は、春が来ないんじゃないかって。ただ、暖かくなって、桜が咲いては散りゆくだけなんじゃないかって。

そんなこんなで、今年も春がきたと感じられたことにホッとした。

もしかすると今年は、今目の前で広がってるよな、こんな穏やかな風景を待ち望んでたのかもしれない。去年みたいな春は来ないことぐらいわかってたし~。せめて人々はそれぞれの春に浸って欲しいと願っていたのかもしれない。

そんなことをぽへ~っと考えながら、芝生に座って、心地よい陽を浴びて自分なりの春を満喫してる。
そしたら、なんか欲が涌いてきて、今じゃ~今日一日誰も現実たる理不尽に涙を流すことがなければと願ってる。せめて、今日一日だけでも全ての人々が穏やかに過ごせるようにとさえ願ってる。

そんなおれは今はただの欲張り。それは自分でも嫌と言うほどわかってる。けれども、いつかそんな欲張りの願いが実現されるような、ありふれた日常の風景となるような世の中を作る、せめてその礎を築くれる人に、おれは、なりたい。かも。
かも。
かもったら。

そのためにはまず勉強しなきゃダメさにぃ~。

帰って机に向うとしよぅ、っと~
執筆:2004/03/25 (南)
 大学で、5度目の桜を見る季節になった。桜の季節は、転機の季節でもある。私達も、2年間過ごしたゼミを去る現実を目の前にしている。そしてゼミはまた、新しい人々を迎えることとなる。


何を求めて、水島ゼミに入ったのか。「新しい発見をするため」だった。ゼミ生の誰もが、そんな思いを持って集まってきた、そう思っている。そうして、ゼミの中で得てきたものは何だったのか。枚挙に暇がなさ過ぎて、とてもじゃないけど紙幅を割ききれない。せめて、自分が社会の中で感じてきたもの、そして自ら身を投じてきたゼミの「現場」はいかなる社会であったか、それを表現できたらと思う。あくまで、担当者の「独り言」、になると思う。批判や反論は大いに受けいれるつもりだ。それでも、主観に基づいた雑文、乱文となろうことを、あらかじめお赦し願いたい。

先日、地下鉄の駅構内である場面に遭遇した。 子供が時刻表や車両案内の掲示を指差し、職員に何か聞いている。職員は作業の手を休め、子供の横で解説し始める。子供の目の輝きが印象的で、とても幸せな風景に居合わせたと感じた。子供の目の輝きは、新しい夢、理想の芽生えを予感させる、そう思うからだろう。

思えば、私が歩んできた20数年間のうちに、幾度この子のような経験をしてきたのだろうか。少なくとも、大学生になるまでは少なかったはずだ、きっと。確か小学校の校歌に「若き理想を育てゆく」という一節があったと記憶している。実際にそうだったか。全否定はしないけど、全肯定もできない。

「いまの20歳台の若者(=私達)は、どのような世代なのか」。そう聞かれたとしよう。あえて一言で言うならば、きわめて「現実的な世代」だ、と私は答えると思う。ここでいう「現実的」とは、「こうすることは現実に合わないからやめておこう」という、いわば「消極的現実主義」ではないのだろうか。そんな行動に出ている自分に気づいて、空恐ろしくなることもしばしばある。そしてそれは、私個人の性質というより、世代一般に漠然と言えることじゃないか。そう思えてしまうのは、何故だろう。

「今ほど厳しい時代はない」。日本の誰もが、そんな不安を胸に生きている、私の目にはそう映る。頭で描いた空想は、まるで砂上の楼閣。不況、高齢化、治安の悪化と、次々に差し迫る「形ある」現実の前に、いかほどの力も持ち得ない。破滅的な崩壊ではないが、小さな悲劇の積み重ねであり、真綿で締め付けられるような感覚に近い。燃えるような夢と希望をもち、社会へと巣立っていった世代も、いつからか現実に順応し、一定の範疇、すなわち「常識」の中でのベターを探し当てようとしている。「常識」から足を踏み外さないよう腐心し、「常識」から抜け出そうとする人間に思いとどまるよう忠告する。理由は簡単、現実的でないからだ。それほどまでに、現実の持つ意味は、重たい。

夢破れ、現実の中に肩を落とす大人たち。その背中を見て、私達は育った。もちろん、一人一人の若者が見てきたものに、個人差はある。今でも「やりたいこと」に専念し、輝きを掴もうとしている大人がいることも、知っている。さはあれども、歴史やフィクションの中の偉人ではなく、超人的な肉体や天性を持つ「スーパースター」でもなく、身近に生きる人々に憧れ夢描く機会をいくつ獲得してきただろう。「そうは言っても、現実だから仕方ないじゃん」。若者が概して現実的であろうとする背景は、きっとそんなところにあるのだろうと思う。

それでも、それが今という時代であっても、理想もまた現実の中からしか生まれない、そう信じている。理想と現実は、決して二律背反ではない。そう思わせてくれたもの。それこそが、早稲田大学という場であり、水島ゼミという場であった。

人は、未知の領域に遭遇した時、そこに何かしらを感じ取る。それは「感情」というよりも、「感覚」なんだろうと思う。感覚は、感情よりも曖昧模糊だけれども、感情よりも揺るぎが少ない。自分の感覚が遭遇した場のもつ感覚と一致すれば、「継続する」という結果を生み、相違や不調和を感じれば、その場を去るという結論に至るのだろう。互いの愚痴ばかりを言いながら、人生の大半を共にしてきた夫婦というのは、たぶん前者の好例。より厳密に言えば、同じ境遇に身を置き同じ条件を課せられることで、ゆっくりゆっくりと互いの感覚を同化させていってるのかもしれない。よって、人がある物事に真摯に向き合おうとする時、入口が「感情」であって、出口が「感覚」なんだろう、と思う。

水島ゼミは、何かしらの問題意識、より率直に言えば感情を契機に、現代社会のもつ感覚を知ろうとして現場に赴き、そこで得た感覚に合う合わないという基準で自分の感覚を再認識あるいは再構築する場であった、そう思えるのである。未知の領域への門戸を開放し、現実から掴み得た感覚を議論する自由を保障している点で、貴い。そういう場であったからこそ、「得てきたものに枚挙の暇がない」のだろう。「皆さんが、ゼミを通じて得てきたものは、何ですか?」

「厳しい時代」は、まだまだ続く。 そうであるからこそ、不遜な物言いであることは十分承知の上で、伝えたい。

水島ゼミを去り、新しいステップへと巣立っていかれる皆さんへ。
新しい現実の中にも、自らと共鳴する感覚を見出して、それを大切にしていってください。水島ゼミで「現場主義」と「自由な議論」を貫いてきた皆さんなら、きっと可能だと思います。

新しい水島ゼミの主役を担っていく皆さんへ。
現実との接点を大切にし、自分だけの感覚を掴み取ってください。水島ゼミが、その機会を与える場であり続けることを、切に願います。

水島先生へ。
こんなにも素敵な場と時間を提供してくださったことを、心より感謝いたします。ありがとうございました。僕達の後に続く人たちも、「抱えきれないほど多くのものを得た」と感じられるよう、宜しくお願いいたします。

現実から得た感覚に正直であれ、それが理想への第一歩。
自分もまた、然るべき。
執筆:2004/02/22 (我流亭独善 loves JOY-TOY)
狂牛病、鳥インフルエンザ、そういや豚コレラなんてのもあったな。

何なんでしょうか、連日のこの騒ぎは。テレビからは『もう何のお肉を食べていいのか…』なんてピントのズレたコメントが垂れ流され、街角じゃおばさん連中が『ホントこわいですねぇ』と井戸端会議。

いい加減辟易させられる。今の今まで何にも気にせずムシャムシャ食ってたもんを、今更アブナイから止めとこうって言うことに一体いかほどの意味があるんだろう。身の回りで一人でも狂牛病やらSARSやらに感染して死んだ人がいるか?死人が出てからじゃ遅いって言うんだろうけど、どうにもこの騒ぎは行き過ぎている様に思える。

普通、人は『死にたくない』から恐怖するんだろう。だとすれば日本人の死因の順に『正しく』恐怖するのがスジってもんだ。がん、心臓病、脳卒中…。自殺者は年間3万人だし交通事故でも年間8千人近くが死んでいる。けど『もし自殺したらどうしよう。オレってストレスに弱いから…』とか『交通事故で死んだらたまらないわ。手信号を徹底しなきゃ!ええと右折は右手を伸ばして…』なーんて会話は一向に聞こえてこないのである。

これはどういうことかと言うと、つまりこういうことだ。人々の思考回路から『死にたくないから』の部分がスッポリ抜け落ち、その代わりに『テレビが死ぬかもしれないと言っているから』という『皮膚感覚』に浸潤されているのである。リクツもへったくれもあったもんじゃない。

どうやら、日本社会の内部で『恐怖の自己目的化』という事態が進行しつつある様だ。『恐怖のための恐怖』。否、本来恐怖を感じるべき対象がもっと他にあるにも関わらず、そこから目を逸らし、メディアの生み出す非合理的な恐怖ゲームを欲するのだとすれば、それは最早『恐怖しないための恐怖』と言い換えた方がいいのかもしれない。

仕事のこと、恋人のこと、友人のこと、自分とは何者なのか、という根源的な問い…。それらの本質的なモンダイと真正面に向き合ってにらめっこするのは正直しんどい。だから考えるのはもう止めよう。本質から目を逸らそう。テレビが嘯く心地良い恐怖にその身を任せていれば、余計なことは考えずに済む。それでいいじゃないか。皆で恐怖しよう、何かに怯えずに済むために。

狂牛病とSARSと鳥インフルエンザのウィルスを乗っけてテポドンが飛んでくるぞ!!気をつけろ!
執筆:2004/01/08 (Tばやし)
 元旦から、その年のできごとや暮らしに思いを馳せることができる人は、希望も夢もある幸福な人でしょう。例えば、「今年は夏のボーナスで新車を購入する。」いいですね。カタログを取り寄せて品定めをしたり、新車の匂いに酔いながら隣に彼女を座らせてドライブコースを疾走する自分を想像してみたり。そんな元旦はきっと楽しいに違いありません。


けれども、一年の計は元旦にあり。この希望に満ちた言葉が成り立たない世界もあります。それは農業界です。毎月の給料が気温によって左右される世界。年俸が年間降雨量によって左右される世界。そんな不安定で予測不可能な世界の住人である農家は、一年の計が成り立ちません。

今年も、不安定な需給関係の影響で記録的な野菜の安値が続いています。収穫して販売ルートに乗せるより、廃棄した方がまだコストがかからず、価格も維持できるので、全国で大規模な産地廃棄が行われています。秋冬野菜の産地廃棄は、大根が7県で4650トン、キャベツは3県で5750トンにも及ぶそうです。精魂込めて育てあげた作物がトラクターの車輪に踏みにじられ、ちぎれながら土にめり込んでいく光景を、農家は耐えうるのでしょうか。一年の計は元旦にありと楽しい空想にふけることができる農家は一体どれほどいるのでしょう。

食料自給率4割。食料安全保障に不可欠な農地は今や480万ha。この面積は、国民がイモだけ食べて生き永らえる程度だそうです。イモですよイモ。農業就業者は280万人にまで低下、65歳以上の高齢農業者の比率は6割近く。農業界には未来が描けず、このままでは一年の計どころか国家百年の大計も危ぶまれる事態です。

一年の計は元旦にあり。日本のみなさん、元旦の空想の片隅に、どうか日本農業のスペースを。元旦のおせち料理やお雑煮から、どうか日本農業の伝統と心意気に思いを馳せてください。

「今年は、食卓にあがるお米の産地を訪ねてみようかな。」
「今年は、家族との旅行は農村にでも行ってみようかな。」
「今年は、家の庭で菜園作りに挑戦してみようかな。」
「今年は、なるべく国産の野菜を買おうかな。」
「今年は、おじいちゃんの畑、手伝ってみようかな。」

一年の計は元旦にあり。今年こそ、日本農業に誇りと希望の灯りが燈ることを願ってやみません。
執筆:2003/12/24 (えんちひ)
 「……したいんです!」

「だから、ウグイスやってくださいって!」
「どうしてですか? そんないいかたってないじゃないですか!」

食堂中に声が大きく響きだしてやっと気付いた。
なにごとだろう?
目を上げると二人とSがテーブル越しに声をぶつけていた。
いや、完全にこの段階ではやりあっていたといったほうが適切だった。
周りの注目も意に介せず、彼女たちとSは声を荒げる。

簡略に言えば双方の主張はこう。
女子学生:ずっとアナウンスだけで単調だし、疲れた。男性のポスティングと交代してほしい。
S:今日は女性がポスティングと決まっているから我慢してほしい。
女子学生:私たちは今夜で帰る。せっかく来たのだから他の業務も体験させてほしい。
S:体験とか勉強とかより、ここはどうやったら 勝つかを考えてほしい。
  すでにシフトもくんであり、変更は困難。
女子学生:男子と交代するだけなのが、なぜ問題なのか?
S:あなたたちはウグイスに向いているし、とにかく今日はおねがいします。

文字にすると理性的だが、言葉のニュアンスや互いに知らないヒトどうしというのが悪く作用し、どんどんエスカレート。
仲裁にはいったときには決定的に関係が悪化していた。
ずっと知らない候補者を応援しつづけたこと、そして時折入ってきた 支持者からの声「アナウンスの声が弱い」も、彼女たちへのプレッシャーになっていたのだろう。
またひとりでシフトを管理する Sも4日目になり、疲れがたまっていたのかもしれない。
とにかく今は戦時中。食堂での口論は士気にも関わるし、なにより3人にとってこの選挙の思い出が最悪のものになってしまう。
半分残った茶碗に未練を残しつつ、4人で別の部屋に行った。
とにかく二人の話を聞く。興奮してるので、まずそこを解きほぐさないと…。

長い選挙戦、この手の感情的な対立は必ずある(らしい)。
その夜、サリーちゃんのパパこと、永橋さんがボソッといった。
学生ボランティアの 力は選挙の趨勢を左右するほどのものだが、同時にその力を上手に導いてやらないと副作用も大きい。
また、もしトラブルが発生したときどうやってそれをリカバリーするか。
また、その予防線をはるか。
今回は選対にはいったということもあり、そのあたりの人間関係を SやRに任せてしまっていた部分があった。ここは大いに反省。
最終的には納得して再び選挙カーに乗ってもらったものの、その夜のビールはやっぱりちょっと苦かった。

Day5に続く…
執筆:2003/12/24 (えんちひ)
 (かねてより親しかった早大の先輩、安部三十郎さんが米沢市長選挙に立候補を表明!

20年も多選を続けた悪代官市長の後継者に戦いを挑んでいるという話を聞き、ぼくは授業を全てお休みして厳寒の米沢へ。
市民の力を、ぼくらの未来をかけた戦い4日目の日記。私たちが信奉する民主主義の原点は、選挙という戦うシステムに立脚しているという意味でお読みください。キャンパスを離れ、一度は触れてみてもいいと思いますよ)

米沢は古くから上杉家の城下町。上杉鷹山の伝統を誇る。
町は複雑に入り組み、一方通行が多い。
新幹線の駅から遠い中心市街地は、ご多分に漏れず空洞化が進んでおり、残っているのはサラ金と飲み屋というお寒い環境。
前市長が建てた複合施設博物館「伝国の杜」は能舞台を備える豪華さだが、訪れる人もまばらで借款とメンテナンスで年に数億のカネが飛ぶ。
市街地から離れた市役所を囲むように 駐車場を備えた大型店が軒を連ね、完全に消費の場は郊外へと移転している。
名門興譲館高校を移転させ、友愛センターを作ったり、市民の広場をつくったりとハコモノ主義の20年。
若者は東京や仙台の大学を選び、 活気のない地元へ戻るものはわずか。
農業も徐々に衰退、サービス業への転換を図るも山形市や福島市といった中核都市にはさまれ、周辺の町村からは米沢牛やワイン、さくらんぼといった独自産業の攻勢をうける。
米沢人の人のよさが、逆手に取られているといった感。もったいない。
そもそも5選を許してしまうところあたりに米沢の疲弊がみて取れるともいえる。
かつての文化都市、上杉のお膝元の面影はいまの米沢にはなくなっていた。 
安部さんはこの町をどう復興させようというのだろうか?そんな思いが頭をよぎる。
ん、そういえばおれの生まれた町と似てるのかもしれないな…。

Day4
ほっとするひと時、座敷でくつろぎながら昼食を食べていると二人の学生スタッフがぼくの前に座った。
昨日の夜からきてくれている早大の女子学生。
友達同士のようで、 いつも2人で行動していた。
おっと、さっそくおれにモーションかけてきたのか??
「遠藤さん、わたしたちアナウンス以外にもやりたいんです」
…なるほどもっともだ。
彼女たちは昨夜からずっと選挙カーに乗ってのアナウンス(いわゆるウグイス)
しかやっていなかった。
アナウンス業務に不満があるわけじゃないといっていたが、たしかに東京からはるばる来てもらってアナウンスだけじゃつまらないよね。
「ほかにももっと色々見たいんです。まだ三十郎さんのことよくわからないし、応援の声にもあまり気持ちがこもってないとおもうんです。」
と正論を並べるまでもなく、ぼくも彼女たちの要望を断る理由はなかった。
ただ、おれは学生スタッフの仕事スケジュールを管理する立場にないのよ。
相変わらず建設業者をクルマで回ったり、市議の切り崩し工作、明日に迫った 山形大攻略作戦の準備に追われていたぼくは、学生隊長のSに直接要望を言うようおねがいし、再びさばの味噌煮に取り掛かっていた。

(後編に続く・・・)
執筆:2003/11/25 (NAO)
 キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス・レボリューションズ』が公開された。


 私も早速観ようと思ったものの、過去2作品の『マトリックス』、『マトリックス・リローデッド』ともにかなりの情報量が盛り込まれているし、「マトリックス三部作」が描く世界は非常に複雑である。まずは復習しようと、後輩が鍋会をやろうと言い出したことに便乗して、DVDを借りて押しかけ、マトリックス鑑賞会を開いた。もちろん、徹夜で(さすがにもう徹夜はきつい。1,2年のころは平気だったのに)。

 これまで、人類文明の暗い面を描いたり、また、コンピュータ対人類の闘いを素材にしたSF映画は多くつくられている。古くは『猿の惑星』であり、最近では『ターミネーター』などがそうであろう。

 しかしながら、『マトリックス』の世界はこれまでの映画と決定的に差異がある。

 映画の中では、一部の例外の人間を除いて、人間は生まれてから覚醒することはなくプログラムが作り出した仮想現実の世界を現実だと思い込んで一生を過ごすことになっている(そのプログラムが「マトリックス」である)。私たちが感じている世界はあくまでも機械が人類を支配するために作られたものであって、現実世界では人間は機械にエネルギーを送るための「電池」として「栽培」されているのだ。

これまでのSF映画の設定は、タイムトラベル、エイリアンの襲来、サイボーグの登場など、あくまでも「そういうこともそのうちありえるかもな」というものであった。少なくとも、現在の科学技術では不可能であろうということが推定できるのである。しかし、「マトリックスの世界」は、現時点において存在している可能性がある、いいかえれば、誰もフィクションであると証明できないのである。

 さらにいえば、現実の世界が存在しているということは、それが個人の「主観」を通して認識されている以上、この世界が「客観的に」存在しているかどうかということは誰にもわからないのである。この世に絶対的なものなど無いのである。

 なら、私たちは何を信じればいいんだと思う人がいるかもしれない。

 答えは簡単である。「自分」である。正確に言えば、「今この世界を認識、解釈している自分という意識」だろうか。少なくとも、自分という存在が「主観」をもって世界をみていることは確かだ。そして、「自分」の中には思考と選択が存在する。

 実は「マトリックス」のシステムは完全に安定してはいない。人間は「選択」するからである。主人公のネオの「選択」は、機械の思う通りの設計・予測ではなかった。
 私たちがふとした問題意識を感じたときから、思考・選択は進み始める。社会のあらゆる仕組みを改革する、あるいは新しいシステムを創造するということはまず「世界」をつきつめることであるが、それは「自分」をつきつめることに他ならない。

 実はまだ、肝心の『マトリックス・レボリューションズ』を観にいっていない。作品として素直に楽しもうと思っているが、本当の闘いは、これから。
執筆:2003/11/13 (トックリ)
 先日、経済学部の学生で「商店街の阿波踊りと経済効果」をテーマに卒論を書いている人と話す機会があった。なんでも、中央線沿いのとある自治体の職員から、盛り上がる祭りと盛り上がらない祭りはどこがどう違うのか、について取材されたこともあるという。


 彼は言います。「いくら芸達者なものを連れてきても、内輪だけで盛り上がっている祭りはおもしろくない。やっぱり自分が主役になっているような気分にさせないとね。もちろん見るだけで楽しめる人もたくさんいるけれど、それも祭りの町全体の一体感があってこそだ。商店街全体で、住民や買物客も一緒に祭りを楽しめるような雰囲気のあるところは盛り上がる。三日間で130万人を集めるまでに成長した高円寺の阿波踊りなんかは、そういう下地を数十年かけて作ってきている」

 たしかに阿波踊りは『踊る阿呆に見る阿呆』の言葉に表されるように、踊り子と見ているものが入れ替わることのできる踊りです。この簡単さが観客に、ちょっと見ていこうかな、自分もやってみようかなという気持ちを起こさせるのでしょうか。参加してみようという気持ちがあると盛り上がります。興味が無いのが一番良くありません。

 私は、民主主義という制度も同じだと思います。民主主義とは「治者と被治者が同じ」であることで、つまり、踊る阿呆と見る阿呆が同じだということです。普段は踊っている政治家たちを見ているだけのような気がしてしまう私たちですが、投票日には自分たちが踊りの主役なのだと実感できる。政治参加とは、誰でもが参加できる阿波踊りのようなものです。

 しかしそれも、みんなが阿波踊りについて少しは知っていて、お囃子のリズムが観客を乗せていかなければ盛り上がらないのと同様、民主主義もみんなが一定の知識を持っていることが必要です。知らなければ無関心になってしまいがちです。

 みなさんの中には、これから民主主義という舞台で政治の「踊る阿呆」になる人もいれば、報道機関の一員として、あるいは有権者として「見る阿呆」になる人もいるでしょう。もちろん入れ替わることもできます。しかし最近、投票率低下に表されるように踊りを見ようともしない人がさらに増えてきました。魅力ある踊り子が減っていると言われると確かにそんな気もします。

 だけれど、私たちは大学で社会科学を学んでいます。社会がフィールドである以上、少しでも多くの人を踊りの輪の中に引き込まなければなりません。そのためにはやはりこちらから社会の現場に出向いて、そこにある問題を踊りの舞台に引っ張ってくる必要があります。私たちが憲法問題を政策論的に、社会学的に学ぶ意義はそこにあるのかな、と思いました。
執筆:2003/11/10 (CANDY)
 高田馬場は雑多な街だ。

何となく汚いイメージである。実際、キレイじゃないし。
そして名前がダサい!昔、田んぼと馬場があったことに由来しているというのもまたダサい。

馬場はどうしてこんなにごちゃごちゃしてるんだろう?どうして隣の目白とこんなに違うんだろう?
ビルのテナントは新しい店が入っては消えをくり返し夏休みや春休みが明けて久々に訪れると知らない店が増えている。
人も異常なくらい多い。新歓時期は無法地帯と化し、普段も何かしら人が集まって色々やっている。酔っ払いが騒いでいたり、学生が校歌を歌っているのは日常茶飯事。
僕も大抵のことでは驚かなくなった。ただ、「馬場祭り」と称してサンバカーニバルまでやっていたのにはびっくりしたけど。でも楽しそうだったなぁ。しかもあまり違和感なかったし!

高田馬場は寛大な街だ。
人が歌っていようが踊っていようが地べたに寝ていようが日常的なこととして受け入れられてしまう。よほど反社会的なことでもしないかぎりは「馬場だから・・・」の一言ですんでしまう。しかし意外と治安は守られている。池袋や新宿のような危険なイメージはない。

高田馬場は学生街だ。
だからこんなに混沌としてるのかな?でも、目白だって学校は多いのにあっちは学生街とはいわれないし、ごちゃごちゃしてない。学生気質なんだろうか?学生気質が街の雰囲気をつくるのか街の雰囲気が学生気質をつくるのか・・・両方かな?まあ、どうでもいいよ。ただ、早稲田大学が目白にあるのだけは想像できない。

変な街だけど僕は高田馬場が好きだ。学生街の衰退がいわれて久しいけど、まだまだ馬場は健在である。学生気質も健在だ。最近の早大生はスマートになったといわれるが外見はお洒落になってもやってることはたぶん昔と変わってない。所詮は馬場。青山にはなれない。
そういう変わらないものがあるとなぜか安心する。
執筆:2003/08/03 (クプクプ)
 就職活動の期間がだいぶ長かった。就職活動を通じて得た殆ど唯一のものといえば、一種の処世術(というより面接を切り抜けるためのただの悪知恵?)である。具体的には「相手が余り知らないことをまくしたてれば、取り敢えず印象には残るし、小さな事実の確認ミス程度なら気付かれることはない」ということである。


私のハンドルネーム「クプクプ」とは、マレー語で鱗翅目(チョウ・ガ)を指す。かつてマレーシアのボルネオ島にチョウ採集の旅行をしたことからこのようなハンドルネームにしたのだが、マレー語には直接チョウだけを指す言葉がない。チョウもガも同じ「クプクプ」なのだ。これはあくまで言葉の根っこにある文化の違いであって、決して日本語と比較してマレー語が劣っているなどと思ってはいけないということはおそらく誰もがわかっていることと思う(日本では牛は「牛」だが英語では「牛」ではなくoxとcowで区別することも同様の論理である)。

趣味が昆虫採集の大学生などそうそういるものではない。当然この「ネタ」は面接で有効活用させてもらった。しかし、自分の土俵に相手を引き込んで話を進めようとしながら、はたと困ってしまうことも時にはある。面接において「チョウの魅力は何なのか」と尋ねられた時がそうであった。自分自身そのようなことについて深く考えたことなどなかった。それはちょうど男女の会話で、(女)「私のこと好き?」(男)「うん好きだよ」(女)「じゃあ私のどこが好き?」と聞かれて男が返答に窮してしまうのと一緒だと思う。好きなものに対して具体的にどこがどう好きなのかなど、通常考えはしないものだ(だがその通常考えないところまで掘り下げて考えることが就職活動におけるジコブンセキとかいうモノなのだとも思うが)。

この場でチョウの魅力などを得々と語っても誰の共感も得られないことは十分にわかっているので書くことはしないが、私がチョウに興味を持ったのは他のチョウ好きの人たちと比べても格段に遅く、大学に入ってからだった。小学生の頃に、ザリガニ採り用の目の荒い網でモンシロチョウを追いかけたことがあったが、全く捕まえることができず10分でやめた記憶がある。したがってまだキャリア3年そこそこのヒヨッコなのである。

最近になって、夏休みなどに実家に帰った折には近所の農道や林などへ自転車を走らせて、どのようなチョウがいるのかなどを見ているのだが、高校生のときに通っていた道に意外なほど多くのチョウがいて驚いた。当時はまったくその存在に気付かなかったのだから、「意識して見る=観察する」のとただ漠然と「見る」のとでは明らかに得られる情報の量・質が違ってくることを実感する。

自転車に乗って方々を巡っていてもう一つ驚かされるのは、外で小学生の姿が全くといっていいほど見られないということだ。私が小学生の頃は、夏休みになれば日が昇る前から起きだしてクワガタを採りに公園に行き、そのままラジオ体操に出たあとはキックベースを陽が高くなるまでやり、遅めの朝食を食べてからは再び外に出てクワガタ採集やソフトボールをし、夜にはまた祖父と一緒に公園の外灯を見回ってクワガタやカブトムシを採るといった生活をしていた(そういえば宿題はいつやっていたのだろうか?)。

それが徐々に変わってきた。まず少子化の影響でソフトボールとラジオ体操がなくなった。さらに(確認はしていないので断定はできないが)、クワガタなどの昆虫類も数が減ったと思う。そういえば田んぼの水路がコンクリート化されてホタルもメダカもいなくなった。母校の小学校のグラウンドは、今や芝生が敷き詰められていて当時の自分たちからすれば夢のような環境だが、話を伺った先生によれば、休み時間になっても外に出ようとはせず、先生方が外に出るように促してやっと出るといった状況なのだそうだ(多少の誇張はあるかもしれない)。

小学校では現在、日本を代表するチョウ・オオムラサキを飼育・観察する取り組みを行なっている。「日本を代表する」と表現したのは、オオムラサキが国蝶に選定されているからという単純な理由からである(国蝶を飼育することで国威発揚・国家主義教育をしようと小学校側が策動しているなどと難癖をつける人はいないだろうが、一応そのようなことはないと断っておきます)。小学校に行ってみようと思ったのもそのことをウェブで知ったからだった。中庭の天井に網を被せてかなり広いスペースで飼育してはいるが、オオムラサキの豪快な飛翔を見ることはできない(チョウに詳しくない人には信じられないだろうが、特にオスは縄張り意識が強く、テリトリーに侵入した小鳥を追いかけることすらある)。

私が実家付近を散策しているのも、実はこのオオムラサキがまだ生息していないかという淡い期待を抱いて探しているということが半分ある。実際に小学生の頃、一度だけオオムラサキを見たことがあるからだ。それは羽化したばかりでまだ飛べる状態でない時に木から落ちたのだろう、側溝に横たわっていた。その時の印象が強く、大学に入って山梨県で再びオオムラサキを見るまでは、国蝶オオムラサキは大きい割に弱々しいチョウだというイメージがあった。それはまさに小学校で見たオオムラサキの姿と一致する。

オオムラサキはそれ自体が豊かな自然の証明でもあり、生息が確認できれば実家付近の自然環境もまだまだ捨てたものではないといえる。そして「本物の」オオムラサキを小学生に見せてあげたいという思いも少しある(別に私は小学校の教師でもなんでもないのだが、まあボランティアか何かでそのようなことができればいいなとは思う)。今の小学生は自分たち以上に自然や昆虫との接点がない世代だから、よもや成長してから突然昆虫に目覚めるということはないだろう。となれば「オオムラサキとはあんなもんだ」と覚えたままで大人になるということだ。生きていく上で全く支障はないのだが、それでは少し寂しいと思う。昆虫の知識など所詮無駄なものかもしれないが、無駄を完全に排除した人生は果たして楽しいのかどうか。

今年もまた雑木林がいろいろな虫で賑やかになる季節がやってきた。「なんで網持ってぶらついてんのが俺だけなんやねん」とか一人でツッコミを入れながら、やっぱり今年も雑木林の「主」の歓声を聞くことはないのだろうな。
執筆:2003/06/20 (ベーやん)
 毎日の単調な生活に飽き飽きしていたし、外国に行けば何か起こるんじゃないかという、まあ一口に言って現実逃避が初の海外旅行のきっかけというか理由で。


 行き先もどこでもよかったし、金が無かったから物価の高そうな欧米は避けたらアジアになってたけど、気がつけば休みが近つくたびアジアアジア・・うわ言の様に言ってる単細胞な自分がいたよ。

 学校で教わった「発展途上国の子供たち」はまだ小さいのに働いていてとても健気で、かわいそうだと心底思った。
 目の前にいるのは教科書の写真から抜け出たような赤ん坊を抱いた女の子。
 追い払っても追い払ってもしつこく付きまとってきて、時には同情を買おうとし、ちょっと隙を見せると途端に調子付いて金をせびり、子供の癖に卑しかった。

 貧乏旅行などといって一泊100円ちょっとの安宿に泊まってみても、これは私の現実じゃない。
 だって現実逃避するためにわざわざ往復7万円もする飛行機で飛んできたんだから。
 この少女にとっては、日本人を追い掛け回すのが現実。生活の全て。

 貧しい子供たちに愛の手を!衣食住に足りた私が次に求めるのは生き甲斐。
 貧しい子供たちなんていう言葉にはぐっときちゃうよ。
 自分の生き甲斐のためなら他人の生活にも土足で踏み入る無神経。

 自分の生活を基準に自分の価値観の物差しで他人の生活を勝手に測っては「不幸」の烙印を押す。そうすることで自分で自分を欺く。毎日大して面白くもないけれど食べるものには困らないし日本人に生まれて自分は幸せだ、と。大まじめに、滑稽に。

 他人の不幸の上に成立した不安定な幸せを揺らぎないものにするために、人は益々他を否定し、己の信奉する幸福を押しつける。どこかの大国の正義とやらにも似てる。

 自己を失った人間ほど強いものは無い。
執筆:2003/06/12 (おやつ)
 少々古い話で恐縮だが、昨年末から今年始めにかけてイラク情勢の緊張が高まりつつあった中、ヨーロッパと中東でとあるコーラが話題になった。コカ・コーラによく似た、というより明らかに模倣した赤と白のデザイン、その名も"Mecca Cola(メッカ・コーラ)"という。


 メッカ・コーラは、チュニジア系の事業家Tawfik Mathlouthiによって昨年11月にフランスで発売されるや否やイスラム系住民を中心にヒットし、フランス国内での売上は約100万本、国外でも200万本を突破したという。現在はフランスの他イギリス、ドイツ、ベルギー、そして中東でも発売されている。

 イスラム教の聖地の名を冠したこのコーラは極めて強い政治色を前面に押し出している。ボトルには「バカな飲み方はダメ、信念を持って飲もう」とのコピーが。HPを開けば弾圧されるイスラム系住民のイメージ画像が流れる。そして売り上げの10%がパレスチナ人への慈善事業と欧州のNGOにそれぞれ寄付されることになっていて、消費者がこのコーラを買うことによって政治的アクションが取れるという仕組みになっている。

 このコーラがそれなりに売れている裏には、イスラム系の人々のアメリカに対する反発がある。イラク情勢が緊迫し始めた昨年あたりから、中東ではアメリカの象徴ともいえるコカ・コーラが不買運動の対象となり、その代わりにイラン製コーラ"Zam Zam Cola"が中東で大きく売り上げを伸ばしているという(本品はこれに触発されたものらしい)。またヨーロッパにおいては、両親世代から移民のイスラム系家庭の若者たちが、自分たちのアイデンティティを主張する手段の一つとしてメッカ・コーラを好んで買っているという。

 Mathlouthi氏は語る。アメリカを攻撃したかったのではなく、アメリカの帝国主義的態度・外交政策に異議を唱える人々に、飲み物でも選択の余地を与えたかった。自分の意志で商品や生産国を選択してほしい、というメッセージをこめている、と。

 しかし、徹底的に反米の意志を示したいならたかがコーラを飲むことくらい我慢すればいいのに、このように代用品が売れてしまうというのは、いかに世界がアメリカ的ファーストフード文化に侵されてしまっているかを見せつけられているようで皮肉に思える。とはいえ、多少はハッタリもあるだろうが、こうやって怒りを毒々しいユーモアに転換して吐き出すような姿勢は痛快だ。少なくとも対イラク攻撃に強硬に反対したフランスへの不満から、フレンチフライポテトをフリーダムポテトと呼び換えて悦に入っている、少々イってしまった彼の国よりはよっぽどいいセンスをしていると思うのだが、どうだろう?

メッカ・コーラ公式ホームページ 
執筆:2003/05/25 (坊主)
「花の美しさというものはない。美しい花があるだけだ。」   小林秀雄


 政経学部のオープン科目で、「現代思想」という授業をとった。この言葉は、その授業の初回に紹介されたものだが、私が今年度で最も関心を寄せた言葉でもある。
 「美しい」という理想、観念があり(もちろんどこかに現に存在しているわけではないが)、それにどれだけ近づいたものが美しいとされるのではなく、その個々つまり美しい花が存在しているだけであるということである。なにが、どれに勝って、より美しいということではない。すべての花が美しく、存在しているのである。その意味では、「美しい」とは非観念性、非階層性、複数性があるといえる。美しさの違いは量的なものではなく、質的なもので、個々の差は少しかもしれなくても、それは絶対的な違いともいえる。
 これを聞いてふむふむと思う人もいれば、何言ってんだと思う人もいるだろう。しかし、ついつい日頃「美しさ」や、あるいはある形容詞を基準にその対象を序列あるいは比較をしてしまっている自分にも気づく。この言葉に関心がもてたのは、そんな考えに無意識的に抵抗を感じていたからかもしれない。