ゼミ生コラム

5・6期(2002年度)

2003/02/28 「死せるものを悼み、生ける者への警告として」 執筆:ASU.

2003/01/04 携帯電話から 執筆:よだふみ

2002/12/24 ハイロウズのライブでダイブしたら殴られたよ 執筆:A子

2002/12/16 別学論・共学論 執筆:ニセムラ

2002/12/09 (笑)を考える 執筆:ゴールド

2002/12/08 「その時、ふたりの距離は0.1ミリ」 執筆:shohei

2002/11/29 星のきれいな季節に 執筆:ヤマアラシ

2002/11/22ノーベル賞を目指すあなたへ 執筆:Kたろう

2002/11/15 セックスとトイレ 執筆:ひと

2002/11/06 あまりしゃべらない人のための英会話上達法 執筆:ツナサンド

2002/11/05 「ゲーム脳」について考える 執筆:みずっしー

2002/10/30 わたしのすきなもの 執筆:あびるこ

2002/10/30 あの場所に何を創るか 執筆:神戸っ子

2002/10/22 トキが住む島 ~佐渡島~ 執筆:桜うさぎ

2002/10/16 北国へ 執筆:RX-7

2002/10/15 知らない人からの誘いを断った 執筆:短友

2002/10/10 恋のススメ 執筆:まわりみち

2002/10/07 What is DEPOSIT 執筆:クプクプ

2002/09/28 EVERYBODY'S IN SHOWBIZ 執筆:47

2002/09/20 「学校に行かない」という生き方 執筆:さかぼん

2002/09/13 中国雑感 執筆:ヨシコ

2002/08/30 衝撃のニュース 執筆:大宮人

2002/07/23 山のススメ 執筆:Kobiki

2002/07/14 バイト代を食いつぶすヤツ 執筆:迅助

2002/07/07 立場が変わると見えてくるもの 執筆:どどいつ

2002/06/29 異文化事情 ~中国異文化体験記~ 執筆:ほげ。

2002/06/22 舞台の上の「死」から想うこと 執筆:ベル

2002/06/15 好きになれずにいられない 執筆:大宮人

2002/06/08 移民問題をめぐる雑感 執筆:Kazut

2002/06/01 DEAD MAN WALKING 執筆:かずき

執筆:2003/02/28 ASU.
 先日、ナチスによるホロコーストを描いた映画『戦場のピアニスト』が公開された。ロマン・ポランスキー監督自身、子供時代にクラクフのユダヤ人地区(ゲットー)を脱出し、ワルシャワ空爆を生き延びた歴史の証人である。  映画公開直前のTBS『報道特集』で「放浪の民ユダヤ」と題した特集があった。その中でユダヤ教の大ラビと呼ばれる指導者がこう言った。「私が最初に覚えたポーランド語は『dlaczego』、何故という言葉です。何故ユダヤ人は迫害を受けなければならなかったのでしょうか。」


 彼の言葉は、私に波紋を与えた。ユダヤ人は、何故迫害を受けなければならなかったのか。ユダヤ人は男子の割礼をはじめとする613ものユダヤ教の厳しい戒律の下で生きる生真面目な民族であり、アインシュタインやカール・マルクスなどの頭脳を輩出してきた優秀な民族でもある。迫害の事実は知っていても、その背景については余り考えていなかったように思った。私は彼の疑問に対する答えを見つけようと試みた。
 反ユダヤ主義(反セミティズム)と呼ばれるユダヤ人への敵対は、特に中世においては、宗教的概念によるものであった。すなわち、ユダヤ人は神殺しとしてイエスの死に共同責任があるとか、聖体拝領に用いる神聖なパンを汚すとか、キリスト教徒の子供を殺害して、その血を過越祭で食べる種いれぬパンの中に入れるといったものである。ペストはユダヤ人が毒を盛ったせいであるとまで言われた。
 近代になると、それまでまったく見られなかった人種的概念が登場し、それまでの宗教的概念(呪われた教えを信じる民)から、人種的概念(呪われた血の所有者)に取って代わった。それまでは転向によって解消され得たものが、何によっても解消され得なくなり、事態はより深刻さを増した。そしてそれはナチスによる反ユダヤ主義的世界観において極められた。「純潔な血を持ち文明の真の担い手であるアーリア人(ゲルマン人)」対「呪われた血を持ち純血種を犯そうとするユダヤ人」-これがナチスの根底をなす世界観であった。
 この極端な純潔妄想と被害妄想は、遂にはユダヤ人絶滅計画の実施に至り、数百万とも言われるユダヤ人が犠牲になった。これが中世以来延々と続けられたユダヤ人問題の最終局面だったのである。彼らはユダヤ人であるがゆえに迫害され、追放され、殺戮されたのである。大ラビの言葉は、これらの甚だしい理不尽に対する抗議であったと思う。
 現在においてもこれらによく似た被害妄想があふれている。最近の北朝鮮に関する報道や、アメリカのイラクに対する態度である。今やアメリカはイラクに攻め込まんとし、日本は北の「脅威」ばかりに目を奪われている。こうした被害妄想がもたらしたものは何であったか、ユダヤ人は尊い犠牲を以って私たちに教えてくれたのではないか。イラクの人々もこう尋ねるであろう。「なぜイラクはアメリカに攻撃されなければならなかったのか」と。それに対してどう答えることができるのか。「警告」はかつてナチスによる虐殺があったドイツの聴覚障害者の学校に掲げられている。
「死せるものを悼み、生ける者への警告として」
執筆:2003/01/04 よだふみ
 夜、家にひとりでいるふとした時や勉強途中のちょっとした時、まだ他にやらなければならにことを残している、そんな時に、ふと今までの携帯電話のメールのやりとりを眺めてみたりしながら、ぼーっと時間を過ごしてしまうことがある。きまって、特に見なければならない状況にあるわけではない。

時間をうまく使えていない、携帯電話をうまく使えていない。そう感じるとともに、逆に自分が携帯電話の存在に使われてしまっているんじゃないか・・・そんな自己嫌悪に陥ることが、なんだか随分多い。

 直に会ったときに伝えられなかったことを、携帯メールであとから補うことって、多くないだろうか。
「今日はありがとう」
「○○は●●だったね」
例えばこんな、何かに対するお礼や、感想。他にも、直接会って話す際に大きなエネルギーや緊張感を伴う大切なことに関しても。
 いい忘れてしまった時に早いタイミングで補完できる点は携帯メールの便利さだと思う。また、いいにくいことでもメールにすると伝えやすかったりもする。
 でも、補完できる安心感から、目の前にいるそのタイミングで何かを伝えることを疎かにしがちになる自分がいて、直接会って話す際の緊張感やドキドキを忘れそうになる自分がいることにも気づく。

 携帯電話を持つことによって、誰か(どこか)とつながっている感を持つことは誰にでもあるのではないか。それを安心感とか心強さといったプラスの方に取る人もいれば、束縛感のようなマイナスの方に取る人もいるだろうけれど。
 私はどちらかというと、前者だと思う。ひとり暮らしをしているせいかもしれない。ひとりの時にあったできごとの報告を携帯メール(電話の時もあるが)で誰かにすることがよくある。もしこういった手軽な媒体がなかったらしないような、ちょっとした事の報告を。もしなかったら、後で改めて別の方法で伝えるなり、日記に書き留めたりという形で処理するのだろうな。
 いつでも手軽に誰かにアプローチできることで、せっかちになったり、ひとりであることを引き受けるということを怠っているのかもしれない。そういう強さを逃がしているのかもしれない。そんなこともたまに考える・・・。
以上、携帯電話にまつわるネガティブなコメントをつらつらとしてきたが、あくまで私の場合であり、雑感だ。携帯電話の大きな利便性や必要性があることを否定するつもりはない。
ただ、私自身は携帯電話をうまく利用できているか、と聞かれると、答えはNO。
 なにもこれに限った話ではなく、使う側の姿勢によって有益にも害にもなるものは多いと思う。そのことを踏まえて、せっかくなら、自分のために有益に利用したいし、またそれを実行できる自分を意識してつくっていかなければ・・・と感じる今日この頃だ。
執筆:2002/12/24 A子
 爆音ギターと大きな猜疑心を持った すごく大きな銃と小さな野心も

だけど私たちは未だに誰が神なのかで揉めている

だから私は言ったわ
ちょっとそこのできそこない 花を持ってきなさいよ 時間の無駄ね
                          ――シャノン・カーフマン
 低い。背が、低い。声が、低い。体温も血圧も、低い。可能性が、低い。テンションが、低い。そんな毎日だ。おまけに、やたら怒られる。友人や家族ならともかく、知らない人にまで――。無念だ。何を書いていいのか、わからない。
 夜になれば、ごそごそとジャニス・ジョプリンやなんかのレコードをかけ、安い酒を飲む。明るくなるまで起きていて、夕方近くまで眠る。目が覚めたときの気分次第で、大学へ行くふりをして甘泉園でたい焼きをむさぼるか、家でビデオを見つつせんべいをかじる。そんな時に見るのは決まって「コーカサスの虜」やら「ロシアンブラザー」、「無能の人」「ポルノ・スター」といった、今までにもう何度も見たようなやつだ。そして金があれば刺激を求めて、女子プロとやくざ映画とストリップを見に行く。
 いいかげん、こんな低空飛行な生活は、やめにしたい。あまりに低くて腹を引きずりそうだ。私は、夏を清算しなければならない。
 そして突然、手紙が届いた。住所が変わっている。また、入院したのか。彼は数年前、頭から黄色いペンキをかぶってひとり釜ヶ崎に殴り込んで以来、精神病院を出たり入ったりの生活だ。私にとって彼は最初、スクリーンの中の憧れの存在だったが、去年の秋、ライブの帰りに下北沢で偶然出会い、それから気まぐれな関係が続いた。

 思い込みが激しく、恐ろしいまでに気分屋。そんなところが互いに似ていた。ロマンティストといえば聞こえがいいが、要するにただの半ボケである。
 私たちはよく、音楽や小説や映画の話をした。それは尽きることのないように思われた。彼の口から出た作品を、私は夢中で追った。そこには、今まで知らなかった世界があった。
 「これからのことやけどな、」彼は言った。
 「ここを出たら焼き鳥屋をやろう思とるんや。また失敗するかも知れんけど、ママゴトみたいな中途半端な焼き鳥屋なら、一緒にやっていけると思うんや。大阪の平野区辺りで、どうやろ、アダルトビデオ流してオールナイト営業や。」
 「けど俺はオリコウやからもう酒は飲まへんで。ちゃんと薬飲んで夜は寝る生活や。ならこうしよう、古臭いボクシングビデオ見ながら朝からやってる焼き鳥屋。」
 そして続けて3回、くしゃみをした。一人の、小さな元ボクサーの話である。
 「俺らがいつまでたってもダメなんは、ええかっこしいだからや!」
執筆:2002/12/16 ニセムラ
  埼玉県は公立・私立を問わずとにかく別学(男子校・女子校)が多く、私も埼玉県内の男子校に進学したわけだが、そんな私にとって『埼玉県立高別学存続に』(朝日新聞11月29日朝刊)という新聞記事は大変興味深かった。この記事によると、埼玉県立の男子高校・女子高校を「男女共同参画社会づくり」という要請から共学化していく動きが、「異性の目を気にせず勉強、スポーツに打ち込める」・「各校の伝統が無くなる」との理由により別学の生徒・PTAらの反対に遭い、結局のところ見送りになったというのだ。果たして別学は存続させるべきか、それとも共学していくべきなのか、これを契機に私なりに考えてみた。


 結論から言って、やはり思春期に異性の目から遠いところに置かれるのは大きな損失である。異性の目が身近にないことは、逆に、異性のことを誤解する危険性だってある。私自身今となっては、3年間の男だらけの生活が全て自分のためであったとは思えない。むしろ男子校が嫌いである。「異性の目を気にせず…」という別学維持派の理由が本当に的を得ているのか、そもそも異性の目なんて大学や社会に入れば当然のようにあるわけだし、「異性の目がない」ことをそのまま無批判に「良いこと」だとする、その先入観を私はまず疑うべきだと思う。思春期の3年間もしくは6年間はその人の人生にとってやはり大きいものであるだろうし、大学や社会に入って異性のいる環境に放り込まれ戸惑うくらいなら、最初からそういう環境に育つ方が得策であろう。また、別の視点を持ち出せば、生物学的な性だけで学校を分けること、つまり男と女を画一的に分けて良いものなのだろうか。悪い意味での「男らしさ」・「女らしさ」を助長してしまうことだって無くはない。

 新聞の見出しには「同性だけで気兼ねなく連帯感」と紹介されていた。同性だからの連帯感なのか、異性とでは連帯感は分かち合えないのか、それを考え出してはきりがないが、私は「連帯感」とは多様な人々が1つのことを共同でやり遂げることで初めて得られるものだと思う。教育の現場である学校には、男女を問わずなるべく多くの多様性があっていいはずだ。ただし、もちろん別学が肌に合う生徒もいるだろうし、別学にも良い点は必ずあり、共学にもデメリットは必ずある。たしかに女同士・男同士だから出来ること、話せることだってあるだろう。しかしだからといって、それだけをもって学校自体を分離しておく理由にはならないはずだ。極端な言い方をしてしまえば、勉強やスポーツに打ち込めるか否かは個々の意識の問題である。
 私自身別学を全廃すべきとまでは思わないが、埼玉のような過度の別学状態は避けるべきだと思う。別学の良さを認め維持・推進していくにしても、私たちはもう一度今まで言われてきた「別学の長所」というものを、本当に生徒にとってプラスになるのかという視点から根本的に再検討する必要があるのではないだろうか。
執筆:2002/12/09 ゴールド
 私はサークルの掲示板などでくだけた文章を書くときに、文中に(笑)を多用してしまう癖がある。いくつか面白い話題を盛り込んでさあ「投稿」のボタンを押そう、とするその前にちょっと見直してみると3、4回使っていることもざらだ。そんな時「ちょっと表現が単調過ぎるかな」と考えて、何とか(笑)を減らそうとすることもあるが、結局そのままにして投稿してしまったりする。

 私が考える文中の(笑)の役割は大体次のように分けられる。
① 文章の中で「ここが面白い所ですよ」と読者に伝えるための記号。
② 冗談であることを読者に伝えるための記号。
③ 文章中の「ボケ」の部分に対する「ツッコミ」の役割。
 このうち私がよく使うのは②と③の使い方で、例えば②の場合だったら「小泉首相は辞職しろ!(笑)」という感じで使う。この使い方なら読者に「この筆者は本気で辞めて欲しいと思っている訳ではないな」ということが伝わり易い。「昨日は12時間も寝てしまいました(笑)」と書けばこれは③の使い方で「それって寝過ぎじゃないの?」という「ツッコミ」を自分で書いたことになる。
 ②と③に共通していることはどちらの場合も自己完結の役割があることであろう。「冗談と受け取ってもらえないかもしれない」「ツッコミ所だということを見逃されるかもしれない」という不安を抱き、そうなるくらいなら、と安易に(笑)を文末に付け足す。僕の場合そんなことが多い気がする。
 ただ一般的にも文中においての(笑)は言葉としての厳密な役割というよりも、言葉のニュアンスやテンションを筆者から読者へと伝える役割を担っているのではないだろうか。自分の文章力で表現できないそうした部分を(笑)で補う。(笑)の多用はそんなサービス過剰とも言える傾向の現れなのだと思う。
 そもそも(笑)は座談会などの記事中で使われていたのが始まりらしい。人と人とが話している様子はその人のセリフをそのまま文章にしただけでは伝わりにくい、ということなのだろう。つまり(笑)はその文章の「雰囲気」を伝えようとする記号なのである。
 インターネットの世界では(笑)の他にも(苦笑)や(爆)などの変種が登場しているが、これなどもきっと雰囲気で使われている記号なのだろう。サークル内の機関紙などと違って不特定多数が閲覧できるインターネットの世界では、書き手の気持ちを読み取るためのそうした「目印」が必要不可欠なのかもしれない。
 先日サークルの後輩A君が「B君の文章の(笑)の部分って全然笑えないんですよ~」と言っていた。私はそれを聞いて思わず納得したのだが、少し考えてみると他人事ではないように思われてきた。
「自分の文章もそのように思われているのではないだろうか…」。
 自分の文章が自分の意図した通りに受け取られる保証はない、という事実を図らずも再認識させられたのであった(苦笑)。
執筆:2002/12/08 shohei
とある映画のキャプションである。

それにしても人と人との距離感というのは非常に微妙で危ういものである。
人は誰でも、相手に接するときにはお互いの立場や時々の状況、積み重ねてきた歳月などにより、相手との「適正な距離」を半ば自然に選び取る。物理的・精神的いずれについても、である。
各々が期待する「適正な距離」が侵害されれば、そこには当然人間関係における重大な問題が発生する。例えば初対面の相手にプライベイートの事項まで根掘り葉掘り尋ねられれば誰だって不快に感じるし、逆に親友にいきなり素っ気ない態度をとられれば、非常に困惑してしまう。
基本的に人間関係というのものは、いくつかの段階を経て徐々にあるべき姿へと形を変えてゆくものだ。その過程を経てただのクラスメイトや同僚で落ち着くか、個人的に親しい関係を結ぶに至るかは、まさに人それぞれ、相手によりそれぞれである。
もちろん、上記のような一般論で人間関係を全て語れるわけではない。人付き合いにはどんな場合にも「意外な展開」が潜んでいるものである。環境の変化や時間の経過により、互いの距離に予想もし得ない変化がもたらされることもあるだろう。「突然の急接近」、「あっけない別れ」など、使い古されたフレーズがいくつも浮かんできそうである。
いずれにせよ、社会生活において立場や属性の異なる多数の他者とうまく同時進行で関わっていくためには、人間関係における原則的ルールを尊重しながらも、同時に絶えず発生し続ける“変化の可能性”という芽をうまく見つけだし、それを良い方向に活かす必要がある。他者との距離感は絶対的というよりは相対的なものであり、常に現在進行形であるということを肝に銘じながら。
先輩後輩、仕事(バイト)仲間、知人、友人、親友、恋人、家族。その相手やTPOに応じて、およそ2メートルから0.1ミリまで、ふさわしい距離をとれるようになりたいものだ。
執筆:2002/11/29 ヤマアラシ
小さな頃から寒がりで寂しがり屋だった私は、何とも言えず物悲しい、冬という季節があまり好きにはなれなかった。でも、冬の空は格別だった。寒さが厳しい季節は、空気がきれいな季節でもある。小学生の頃、私は塾の帰りによく星を眺めていた。駅から自宅までの道を、かじかんだ手をこすりながら、ただひたすら上を向いて歩いた。月夜の晩には、ささやかな光が私を包み込んで、深々と冷える空気を心地よい寒さに変えてくれた。


そういえば、最近、星を見た記憶がない。忙しさにかまけて、空を見る余裕もなかったのか、と少し悲しくなる。東京の、高層ビルに細切れにされた空にも同じように星は浮かんでいるはずなのに。

夜中に目を覚まして、真っ暗なはずの部屋を見やると、台所の窓の外がやたらと明るい。最近、防犯用に街灯が明るくなったのだ・・・そうか、星に気付かなかったのは街が明るくなったからだったのだ。駅からの街灯が明るくなったことで、終電近くに帰ってもちっとも怖くなくなった。安全と安心を追求した街は、真夜中でも煌々と明るく、星のささやかな光など、消し去っていたのだ。

安全とか、安心とか、便利だとか、目の前にある、ちょっと手を伸ばせば手に入れることの出来る贅沢が、普段はとても心地よい。だが、それと引き換えに失ったものの存在に気付いてしまうと、時には立ち止まってみたくなる。

私が小学生くらいの頃、駅からの道が暗くても怖いと感じたことはなかった。世の中はもっと良くなると信じられたし、他人を、今よりは信じることが出来た。今にして思えば、根拠のない期待に胸膨らませていた時代であるから、単純に昔は良かったと言うことも出来ないのだが、いま、将来の展望がまったく開けないために、社会全体が先行きの分からない不安を抱えていることも確かだと思う。暗闇の中ではどんなに小さな光でも、それを頼りに進んでいくことが出来る。ただ、明るい街ではなく、誰もが心の中に光を抱いて生きることの出来る社会であったらいいと思う。

今年も、星のきれいな季節がやってきた。
執筆:2002/11/22 Kたろう
 本年度のノーベル賞受賞者に小柴昌俊(物理学賞)、田中耕一(化学賞)両氏が選ばれたことは記憶に新しい。米国バージニア・コモンウエルズ大学のジョン・B・フェン教授(85歳)と共に生体高分子の質量分析法のための「脱離イオン化法」の開発によって受賞した田中氏は、若干43歳という若さだそうであるが、化学賞におけるこの三年連続の受賞は、暗いニュースの多い昨今において同じ日本人として大変喜ばしく思う次第である。

 しかしながら、この連続受賞は『近年』における日本の科学技術力の向上の賜物と考えるべきなのだろうか。一人の悲運の科学者の話をしながら、考えてみようと思う。
日本の科学者で鈴木梅太郎(農芸化学者)という人物をご存知だろうか。おそらく多くの方は「誰?」といった感じではないだろうか。だが、彼が世界初のビタミン(オリザニン)の発見者であり、その後のビタミン学を切り開いた人物だと言われれば、彼の研究の大きさをご理解頂けるのではないだろうか。

 鈴木がビタミンの発見についてドイツ学会誌に発表したのが1911年(明治44年)7月、当時の日本においては脚気(かっけ)が猛威をふるい毎年何万人もの人々が死に追いやられていた時代であった。彼はその原因がビタミン不足(鈴木は脚気をオリザニン症と名付けた)にあることを究明し、多くの人々を死の淵から救ったのである。これほどの功績を残した彼はノーベル賞を受賞できたであろうか。答えはもちろん否である。ノーベル賞受賞者リストに彼の名は残されていない。では、ビタミンの発見はノーベル賞に値しなかったと考えられているのであろうか。これもまた否なのである。なぜなのであろうか。


 世にビタミンの発見者として知られているのはイギリスのフンクという人物である。彼は1911年11月、つまり鈴木の発見の4ヶ月後に鈴木とほぼ同じ方法で同じ物質を結晶化し、それを「ビタミン」と名付け発表したのである。これだけでも不可解であるのだが、さらにややこしいことにフンクもノーベル賞を受賞してはいないのである。1927年、ビタミンの先駆的研究でノーベル賞医学賞・生理学賞を受賞したのは鈴木でもフンクでもなく、オランダのエイクマンと、イギリスのホプキンスなのである。
もちろん時代的な背景もあったのであろう。しかしながら、当時医学の分野において最先端であったドイツ学会誌に発表していたにも関わらず、この有様である。今回のダブル受賞は大変喜ばしいことであると冒頭に述べたが、受賞の数だけが全てでは無いと言う事を考え直す必要があるのではないだろうか。アメリカ型産業構造への転換論や中国脅威論を鵜呑みにし、日本を過去の栄光の中に貶める前に今一度、日本の技術力の高さに目を向けて見てはどうだろうか。
執筆:2002/11/15 ひと
 「今日のうらない Count Down」で1位だったに違いない。

突然、ずっと憧れていたカレ(orカノジョ)に告白されたあなた、ルンルン、もちろん付き合うことになった。思っていたとおり、男性として理想的なカレ。デートを重ね、ついにその日が。服を脱ぎ、パンツを下ろし、いざ、そこに手をやると……ない!(orある!)そこにあるはずのソレはなく、そこにないはずのソレがある。
 そんな夜がやってきたら、あなたは、どうするだろう?
 もしも、愛した男の性器が、ペニスではなくヴァギナだったら、自分はどうするだろうか。きっと、困惑する。それから、「それでもあなたを愛している」と言えるだろうか。
 ペニスを見て好きになったわけじゃない。
 愛したのは、あなた。
だけど……あなたは「どこ」にいる?カラダ?ココロ?
カラダの性とココロの性がどうしても一致しない、トランスセクシュアル(TS)、トランスジェンダー(TG)と言われる人たちがいる。日本では、性同一性障害(Gender Identity Disorder/GID)という言葉の方が一般的かもしれない。
 性は多様であるが、ひとつだけ言えることは、その人のココロが何よりも大切ということだ。手術によって、カラダの性をココロの性に一致させるか、しないかは別の問題として、その人がその人であることの本質は、カラダではない、ココロなのだ。
 
 僕の友人のKクンは、女性から男性への「性適合手術」を待ち望んでいる。先日、とてもうれしそうに、こんな「報告」をしてくれた。
 「俺は遂にやりました。ついに、男トイレに入ったんです!まだ身体は未着工なので個室ですけど、誰からもとがめられずに入って、出てこられました。」
 男トイレに迷わず入ることができるのも、「男が好きだ」と迷わず言えるのも、ココロとカラダの性が一致していることを、当たり前だと思っているからだ。
 けれど、当たり前のことが、当たり前でない人たちがいる。それを忘れてはいけない。
そもそも、トイレが男女で分けられていることそれ自体が、当然というにはあまりに無意味だと思っているのは、自分だけだろうか??
執筆:2002/11/06 ツナサンド
 その是非は措くが、最近英語、とくに英会話がブームである。いたるところに英会話やTOEIC,TOEFLのための予備校の広告がある。英会話に関していえば、「とにかく話せ」、「習うより慣れろ」と大体どこでも言われる。これは正しいと私も思う。


しかし会話のスタイルは人によって異なる。一方的にまくし立てるのが好きな人や、私のように聞いているほうが好きな人、恥ずかしがりやであまりひとと話すことを好まない人などさまざまなタイプの人間がいる。上記の2,3番目の人たちは「積極的に」「自分から」などと言われても、そもそもそういう性格ではないため口が開かない。従ってなかなか上達できないように思われる。「性格を変えるのは難しい、しかしこれからは英語が話せないと就職してから不利になる・・・」と彼らは不安になるかもしれない。

 そこで私がお勧めするのが「暗唱」である。少し長めの文章を覚え、ネイティブレベルのスピードで言えるようになるまで何度も繰り返して口にしてみる。別に人と会話をすることもなく、英語が文章ですらすら出てくるようになる。無理に性格を変える必要はない。

 この方法は私の体験に基づく。私は去年まで、早稲田大学英語部にいた。そこでの活動には会話だけでなく、ディスカッション・ディベート・スピーチの3つがあり、そのスキルを磨くため日々努力する。どの活動を選択するかは自由で、私は人前で話す練習をするため、主にスピーチをやっていた。細かいルールは省略するが、スピーチにはあらかじめ準備して行うものと、即興で行うものがある。前者は社会問題で思うことや自己の価値観についてA42枚くらいの分量を書き、暗記して7,8分くらいで行い、後者は提示された単語や命題について思いつくことを短時間(一般的なものは15分)で準備してスピーチをする(英検1級2次試験みたいなもの)。私は主に前者のタイプをしていた。

活動に関するよい記憶はない。私は「スピーチのための文章」を書くのがとにかくへたくそであった。本格的に始めて3ヶ月で司法試験の勉強のためにサークル自体をやめてしまったので、どこまで上達したかは定かではない。しかしスピーチのスキル以上に、私が自分で確実に上達したといえるものがある。それが会話の能力である。たった3ヶ月、3回の練習試合のような小さな大会に出ただけで、会話の際スピーチの壇上で話しているときのように文が口から出てくるようになった。

 普通は、こうしたサークルにでも入らない限りあまり英語でスピーチをする機会はない。今更サークルに入るというのはちょっと・・・と思う人も多いであろう。しかし、会話能力の上達に必要なのは「暗唱」の部分のみなのである。更に自分で文章を書き、ネイティブにチェックしてもらえば英語力全体の向上を図ることができるが、私はそこまでしなくてもよいと思う。会話を避けて会話能力を向上させることができる、というのは孫子の兵法軍争篇の「迂を以て直となす」のよい例であると思われる。会話であまり口は開かないが英語を話せるようにはなりたい、という人にお勧めする。
執筆:2002/11/05 みずっしー
 「ゲーム脳」という言葉を最近よく耳にする。調べてみると、「ゲーム脳」とは、テレビゲームを頻繁に続ける人々に共通してみられ、脳波が著しく低下し高齢者の痴呆症と同じ波形を示す脳のことをいうそうだ。この現象は、脳神経学者の森昭雄・日本大教授が発見し、『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)という本に著したことから、話題になった。

研究では、4歳から20代後半まで約300人に協力してもらい、テレビゲームをしているときの脳波を測った。この結果、脳波が4つのタイプに分けられることがわかった。
1.まったくテレビゲームをしたことがなく、テレビゲームを始めても脳波に変化がない"ノーマル脳人間タイプ"。
2.テレビゲームはしていないが、毎日テレビやビデオを1~2時間見る"ビジュアル脳人間タイプ"。ゲームを始めると一時的に脳波は若干落ちるが、やめればすぐに元に戻る。
3.テレビゲームを週に2~3回、1回1~3時間している"半ゲーム脳人間タイプ"。テレビゲームを始める前も終わった後も、β波がα波のレベルにまで落ちている。
4.テレビゲームを週4~6回、1回2~7時間している"ゲーム脳人間タイプ"。ゲームをしていないときにも脳は働かず、数値が測れないほど脳波が低下している。
※詳しくは、http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2002_10_30/content.html
 そして、森教授はこの結果から、「ゲームによって物事の手順を考えるスピードが減少したり、人に迷惑かけないといった道徳観が失われたりすることになる。そして大人になっても目的性もなく、計画性もない、「その日暮し」な生活をするようになって、ひいてはロボットと同じような状態になってしまう」と指摘する。
今回のような指摘は今に始まったわけではなく、「酒鬼薔薇聖斗」事件などの重大な少年事件が起これば、必ずといっていいほど「ゲームによる精神への悪影響」が主張されてきた。
しかし、特に今回は科学的な根拠によって(被験者は約300人であることから、この研究だけで結論付けることはできないが)、ゲームが精神に「悪」影響を与えることがある程度証明された。今後はお母さんの小言の一つに、「あんた、そんなにゲームばっかりやってたら、「ゲーム脳」になるわよ!」というものが加えられるに違いない。それは冗談としても、今後はこうした研究結果を基にしてゲームにさらに厳しい規制が加えられるかもしれない。
 それでは、ゲームは人間の精神に悪影響を与える「悪」の産物でしかないのだろうか。
確かに、ゲームを長時間すると頭がぼーっとしてしばらく集中できないこともある。これは、幼少の頃からファミコンを始め、高校時代はプレイステーション、そして現在はそれに加えて「たまに」インターネット上のオンラインゲームなどもしている私の経験則から明らかである。よって、今回の研究結果もあながち否定はできない。
しかし、世の中にあるゲームの種類は多様であり、「ゲーム」として、ひとくくりに悪と言ってしまうのはあまりに単純な話ではないだろうか。たとえば、RPG(ロールプレイングゲーム:冒険モノゲーム)、SMG(育てモノ、運転シュミレーション)、ACG(アクションゲーム)などがある。それらは、魔法などを使うことのできる夢の世界を描いたものであったり、哲学的な疑問を喚起するような深い物語だったり、単に気分転換のためのものであったりする。ひいき目に見れば、これらのゲームをすることによって夢を描くことができるようになったり、現実の矛盾を考えることができるようになるかもしれない。私は、「将来は弁護士として世界中を冒険して、困っている人を助けたい。」と思っているが、その夢を抱くようになったのは、弁護士のおもしろさや冒険の楽しさを疑似体験させてくれたゲームの影響があるからと思う。
よって、ゲームが脳に物理的に影響を及ぼすとしても、それにより得られる利益は大きく、私はゲームは必ずしも悪ではないと思う。それは、パソコンや携帯電話が電磁波で脳に影響を与える危険性があるにもかかわらず、それらが社会的に悪ではないとされることと、同等の理論である。
もっとも、ゲームをやりすぎるのは体に悪いし、コミュニケーション不足につながりかねない。やはり、節度を考えるべきではあると思う。ゲームだけが娯楽のすべてではないから、音楽を演奏したり、外で遊んだり、体験活動をしたりと、より幅広く娯楽の要素を取り入れるべきだと思う。もし、ゲーム以外に遊び方を知らない子供たちがいたら、親や先生が「遊び」を考える手助けをすることができるようにならなければいけないと思う。
ということで、初めてゲームに関してまじめに語ってみました。(^^)
執筆:2002/10/30 あひるのこ
わたしのすきなもの

映画「サウンドオブミュージック」の中で
嵐の夜、恐がる子どもたちを前に主人公マリアが歌ううた
トラップ家の規則ではもう寝ていなければいけない子どもたちを
楽しく喜ばせようとするマリアの優しさがにじみ出ている
わたしのすきなもの
すごく暖かい響きの言葉だと思いませんか
わたしのすきなもの
それは外でぼーっと風をきいているとき
いろんな音や匂いが混じっている風に
いつからそこにあるのか分からない木々がざわめく
同じ風に吹かれてからっぽになれるのが気持ちいい
わたしのすきなもの
それはおいしいものを前にするとき
どんなものかわくわくしながら
ちょこっと食べて顔は満面の笑みになる
そこで一言、「しあわせ~♪」
わたしのすきなもの
それは一日の始まりの静かできれいな空気
それはともだちとのおしゃべり
それは好きな音楽を聴いている時間
それは一日が終わって布団に入る瞬間
こんなのはみんなふとしたところにあらわれるちょっとしたことなのに
そこからもらうしあわせな気分はとってもおおきい
そんなちょっとしたうれしいことやほっとする瞬間に
たくさん出会える自分でありたいものです

 

執筆:2002/10/30 神戸っ子
 アメリカの同時多発テロから1年あまりが経った。超高層ビルが立ち並ぶニューヨークの摩天楼群の真ん中に、今ぽっかりと穴が空いている。テロ以前I am No.1のアメリカのパワーを象徴するかのようにそびえ立っていたWTCの跡地、グランド・ゼロといわれる場所である。規模にして約93ヘクタール、地下6階分ほどの巨大な正方形の空間だ。この悲劇の場所に必ず何かが建つ時が来る。あなたが建築家なら何を創るだろうか。

「テロに屈しないアメリカの姿勢」を見せるのだというのが、行政が進めようとする方向である。WTCに匹敵するような大型ビルを再び建設すべしというもので、追悼のためだけに使うにはもったいないという経済的意図も見える。それに対し被害者家族は「追悼の場と開発の場を共存させると、ディズニーランドのように(観光客向け)になってしまう」と批判している。また被害者の家族にとっては、家族が「眠る」土地の上に商業ビルが建つということに精神的苦痛を感じるというのが大きいようだ。

今年の7月跡地利用を担当するマンハッタン開発公社は、跡地利用計画の6つの案を発表した。世界中から有名な建築家たちがチームを組んで取り組んだもので、どれも3割から6割を追悼施設にし、残りを高層商業ビルにする構想である。

しかし、と思う。単なる経済的な象徴の再建が本当に望ましいことなのか。もちろん、ニューヨークには早く元気になって欲しいと思う。しかしテロの根本は何だろうと考えたとき、再びあの場所に超高層ビルを建てるということからは何も生まれないのではないだろうか。これ以上力を誇示しなくていい。あの場所は亡き被害者への追悼の場、そしてアメリカが自分自身と対話するような静かな場所になって欲しい。そうすることによって、次の世代へ世界平和の意味と本当の正義を伝えていくことができると思う。この点建築家・安藤忠雄の直径200mの巨大な半球形の「墳墓」の提案は異様であったが、「どうしてもあの場所で建築の形を考えることができなかった」という言葉が印象的だった。超高層ビルを建てるのでは何も変わらない。あの場所に何を創るかはこれからの国際社会に対するアメリカの態度を示すことになるように思う。

この計画は今年中に6つから3つに絞られ、来年春に最終的な案が発表されることになっている。

 

執筆:2002/10/22 桜うさぎ
先日、連休を使って地元新潟へ向かった。

目的は現在27羽にまで増えているトキを2006年前後に野生復帰させるための環境づくりボランティアに参加するためだ。
 
20世紀初頭には東アジア一帯に生息しており、決して珍しい鳥ではなかったトキが20世紀後半までには中国と日本を除いて絶滅している。
日本国内でも昭和30年~40年代ごろには次々とその姿を消し、その生息地は佐渡島のみとなった。

トキは棚田で餌を食べ、里山の高い木に巣を作って生活する。
トキが野生で生息していた昭和30年代ごろの佐渡の棚田や里山の環境は今はもはや目にすることはできない。
しかし、これから数年後、数十年後には確実にトキの個体数は増加していき、トキ保護センターの収容能力を超えることになる。
そのためトキと人間の共生を目標とした佐渡の自然環境再生のための活動が急遽必要となったわけである。

今回私はトキを放す予定になっている場所へ行き、荒れはてた棚田のやぶ刈りを行った。棚田といっても40年近く放棄されていたところなので田んぼの原型をとどめていない。
ひたすら雑草、雑木と格闘していると田んぼのような形ができてくる。そんなときはしばらく数年後、数十年後のこの場所でのトキの生活について想いをはせてしまう。

活動期間はとても短かったけれど将来の目標であるトキと人間の共生について考えてみるいい機会になった。
この活動はまだまだ始まったばかり。
無理のない範囲での持続的な活動が大きな大きな成功をつかむ。
佐渡がトキ色(うすいピンク色)で染まる日がくるまで私はこの活動の経過を見守っていこうと思う。
執筆:2002/10/16 RX-7
私には、幼少の頃からずっと、北国のイメージに強く心惹かれるところがありました。

自分の中の感性ですので、既存の使い古された言葉ではとても表現できないのですが
敢えていうと心象風景とでも申しましょうか。
日本の北国。私が想像するものは、短い夏と、そして雪に閉ざされた冬です。
特に、短い夏の記憶が心に、いつまでも残っています。

高校生だった夏、親の実家がある青森へ、一人旅行をしました。
丁度、怪我をしていて、打ち込んでいた部活を休んでいた時でした。
その旅への動機は、気分転換のつもりだったかもしれませんが、それよりもっと大きな北国への憧憬に曳かれてやって来たのかもしれません。

その実家は、りんご畑が多くの面積を占める、小さな町に在りました。
私は、その当時、同郷の作家、太宰治が描く、人間性の強さと弱さに傾倒していました。
そこで、良い機会とばかりに、電車で三十分位の、彼の故郷の金木町という所を訪れたのです。
金木町は、昭和四十年代の町並みを彷彿とさせるような鄙びた町です。
斜陽館と呼ばれる太宰の実家を訪れ、この北国の文学人の想いを、遠く感じられた様な気になりました。

そこから歩いて二十分程のところに、小さな湖とその湖畔に公園があります。
そこに太宰治の碑が、"撰ばれてあることの、不安と恍惚と、二つわれにあり"という言葉と共にありました。
これは、彼が生前好んでいた、ヴェルレーヌの言葉です。
それを見た時、辺りには誰独り居ませんでした。
その瞬間の、広い青空、木洩れ日、北国の澄んだ空気の匂い、荘厳とそびえる碑、そして、ヴェルレーヌの言葉。
五感で感じた事を、不思議と、今でも鮮明に憶えています。
私はやはり、北国に心惹かれます。

皆さんにも、きっと言葉なんかじゃとても伝えきれない、非論理的な感性、心象風景があるのではないでしょうか、なんて思った次第です。
執筆:2002/10/15 短友
ベンチに座っていると向こうから女がやってきて隣に座り込み

突如私に向って宗教かセミナーか知らんが布教をはじめ出した。
私はちょうどボーッとしていたので別段反応するでもなく
女の話を流していたが、数分すると面倒くさくなってきた。
そこで「いや結構です」と非生産的な会話に終止符を打とうと
すると、女は急に心外といった表情をして私を非難した。

なぜあなたはこのすばらしさがわからんのか。
私は聞き流していただけで内容を聞いていなかったので
女が何を話していたのか残念ながら認識していなかったが、
それを言えばまた最初から布教説明を受けるのが明らか
であったし、それはまったくもって面倒くさかった上、
そろそろ行かないといけなかった。そこで、
「たしかにすばらしいんでしょうね、あなたにとっては」
と言い、ベンチを立った。

女は私の言葉から「すばらしい」という文句だけを拾い、
それでは、とさらに具体的な話をしようとしたが、
私はそれを制止し、もう行かなければいけない、と言った。
それにあなたはちょっと強引すぎる。ダンスに誘うには
それなりのお付き合いをしてからです。デートに行くほど
私はあなたを知らないし、あなたも私を知らない。
と言った。

女はこのような断られ方は初めてだったようで
しばし面食らっていた。私はその隙にとっとと歩き出した。
執筆:2002/10/10 まわりみち
近年、社会にはかつては想定し得なかった事件が溢れている。

犯罪の件数自体にさほどの変化は無くとも、
事件の多様化、残忍化、低年齢化には異論が無いところであろう。
人々はこの原因をモラルの低下、教育の腐敗、想像力の欠如など、
様々な方向から説明しようとするが、
私は問題の根本は「愛し方の未熟化」にあると思う。
何でも思い通りに行く生活や、コミュニケーション不足の中で、
いつの間にか私たちは「人の上手な愛し方」を
忘れてしまったのではないだろうか。
子どもの愛し方を忘れてしまった親は、子どもを平気で殺し、
恋人の愛し方を忘れてしまった男女は、ストーカー行為に及び、
動物の愛し方を忘れてしまった飼い主は、簡単にペットを捨て、
自分の愛し方を忘れてしまった少年は、自らの命を絶ち、
家族の愛し方を忘れてしまった人々は、
子どもが家出をしているのにもかかわらず親は気にもとめず、
そして年老いた老人を邪魔者扱いする家族を作り上げる。
さらに、国の愛し方を忘れてしまった国民は、自国の事に無関心になり、
人の愛し方を忘れてしまった人々は、遠くの世界の声に耳を貸せない。

もう一度、小さい頃の「恋」を思い出してほしい。
好きな人に何をしてあげる事も出来ず、
ただ遠くから見守っていているだけで、それで幸せで、
でもつらい時や困っている時には力になってあげたいと思っていた。
そして何よりその人の事が、変化が気になって仕方がなかった。
そんな「恋」を誰もがしていたのではないだろうか。

「恋」をする相手は何でもいい。
家族、恋人、友人、場所、風景、音、国。
出来る限りのものに「恋」をし、
気にかけてあげる心を、よりたくさんの人が持っていけば、
世界は少しずつ変わっていくのではないだろうか。
そして何より、そうすれば、もっとこの世界は楽しくなるはずだと思う。
執筆:2002/10/07 クプクプ
少し前の話になるが、2002年のゴールデンウィークに八丈島へ訪れる機会があった。東京から南に約300km、釣りや温泉で有名な観光地だ。道沿いにはハイビスカスの並木が植えられ、そこが東京都であることを忘れさせる。
 その八丈島で面白いものを見つけた。デポジットというものだ。デポジット(deposit)とは、英語で「預金、保証金」という意味だが、そこから転じて「飲料などの空き缶を回収するための金を販売代金に含めておき、それを返せば金が戻ってくるやり方」(小学館 新選国語辞典)という意味でも使われる。観光が重要な産業となっている八丈島では、空き缶のポイ捨ては島の美観を損ねることになり、観光地としての印象が悪くなってしまう。そこで始めたのがこのデポジット制度というわけだ。デポジットの対象となる飲み物は通常のものより10円高い値段で販売され、缶には写真のような認識シールが貼ってあり、空き缶を島内の数箇所にある回収機に投入すると10円が戻ってくる。こういう仕組みをとることで消費者にはきちんと捨てるインセンティブが働くわけである。
八丈町役場でいただいた資料によれば、2002年3月の時点で、デポジット対象缶の販売・回収に協力している事業者は島内で101になる。これには販売のみ、回収のみの協力も含まれる。また、回収率は時には100%を超えることがあるが、これは月毎の数値である為に販売と回収がずれる可能性があることと、デポジット対象缶以外のものを回収機に投入して10円をもらってしまう者がいる(セコイ!)ことと、2つの原因が考えられる。しかし1998年9月から2002年3月までの累計回収率を見ると83%が回収されているので、制度としては成功していると評価できるのではないだろうか(ここで普通の空き缶回収率と比較できればいいのですが、ごめんなさいわかりません)。
回収率のグラフを見ていて気になるのが、観光客の多い7月の回収率が毎年極端に低いということだ。7月だけ回収率が60%代に落ち込んでしまう。理由は明らかで、観光客がデポジットに協力しないからである。当たり前すぎて書くのも恥ずかしいが、観光客には「来た時よりも美しく」という気持ちが必要だろう。またそれ以前に、自分たちが普段の生活の中でどれだけ環境に負荷をかけて生きているかということに対してもっと自覚的になるべきだと思う。
執筆:2002/09/28 47
去る9月22日にドイツの総選挙が行われた。今、私のいるイギリスの新聞各紙は、連日この選挙の情勢を記事にしていた。特に、選挙の行われた週末には、大きなスペースを割いて情勢を検証したうえでこの選挙の接戦を伝えていた。その中で20日のインディペンデント紙と21日のガーディアン紙は、今回の選挙は本当に重要な問題が争点としてあがらず、シュレーダーとシュトイバー、このリーダー二人の「人間性」が最も重要な争点となってしまったと伝えた。インディペンデント紙は、教育や年金などの重要な問題が争点にならなかったとし、ガーディアン紙は、「人間性」重視選挙となった原因がテレビ討論の導入とシュレーダー陣営の選挙の戦略にあるとした。

これらの記事を読んでひとつの落語を思い浮かべた。私が留学する直前にNHKで見た立川志の輔の「買い物ブギ」である。奥さんに頼まれてドラッグストアに買い物に来た客が、掃除用洗剤を買おうとして、店員に「風呂用か、台所用か、窓ガラス用か?」と聞かれてもよく判らない。すると、店員は「じゃあ、こちらのただのユアペットを。これなら一本でどこでもOK。」と勧める。「だったら、何で風呂用、台所用なんてものが必要なのか?」と客が質問。店員は答えられない。歯磨き粉でも同じような状況になって、客が「歯もただのユアペットで磨けばいいんじゃないのか」などと言ったりする・・。

最近、物事の表面だけを大事にする傾向というのが強まっている気がする。中身は大して変わらないのに「風呂用」、「台所用」と言われると疑いもなく両方買ってしまうだとか、表のカバーを変えることができる携帯電話だとか。こんなのは何の付加価値でもないのに勘違いをしてしまい、それにあわせて企業も小手先だけ変えた商品を次から次へとだす。なんとくだらない循環であろう。何が「これからは創造の時代」だ、とも言いたくなってくる。
大体、企業で働く人間の考え方からしておかしい。知り合いに大手企業の人事部の人がいるのだが、その人の話によると「面接なんてうそついてでも印象に残るような話をしたもん勝ちだよ。学生なんて同じ様な話しかしないからこっちもつまんない」らしい。(その後、うそがつけないのが早稲田の学生とも言っていた。)確かにつまんないだろうなあというのはわかる。しかし同様に企業から送られてくる就職案内のパンフレットもつまらない。どこもかしこも社員の対談だとか、写真つきのインタビューだとか有名人気取りのわけのわからぬものばかり。それで仕事の内容がわかるかといったらそういうわけでもない。「ビジュアルだけは良くしておこう。」といった意識が働いている気もする。
確かにビジュアルは大事である。しかし、こんな「創造力」しかないもんがビジュアルにこだわったところでなんだってんだという感じがするのである。要は表面だけ変えたインチキ商品をいかにいいものに見せるか。そのために巧く「うそ」のつける人材を求めているだけではないのか。こんなのは本当の商売ではない。
(こういうことから考えると、食肉偽装やら数年前はやった異物混入といった問題もプラスに考えられるのではないか。みな企業の言うことに疑ってかかる。そのいいきっかけになるのではないか。)
冒頭のドイツの選挙の話に戻すとすると、負けたシュトイバーがシュレーダーより本質をつかんでいるなどとは全く思ってもいないが、この全世界的な「ビジュアル政治」の流れが世界を悪い方向に持って行くことだけは間違いない。口だけ達者で中身は伴わない。どう考えてもろくなことにはならない。
この流れの揺り戻しはいつか必ず訪れるであろう。そのときのために自分だけでもしっかりと気を持っていなくてはならない、などと考えるのである。
執筆:2002/09/20 さかぼん
早いもので大学生活もあと半年を切った。あと半年もすれば僕は学生じゃなくなる。小学校、中学校、高校、大学…僕は16年もの間、学生だった。ふりかえればその時その時いろんなことをしてきて、たくさんの思い出がつまった場所、それが「学校」という場所。つらい時や悲しい時もあったし、でもその何十倍も楽しかった。僕にとって「学校に行く」ことは当然のことだった。

でも最近になって、そうじゃない生き方もあることを知った。きっかけは、以外にもお昼の連続テレビドラマだった。タイトルは「キッズウォー」。(CBC制作)このドラマに健一という中学生が登場する。彼は小学校でいじめられたことから不登校になり、中学校へは行かずフリースクールに通うようになる。フリースクールは同じような境遇の子供たちが集まり、アットホームな雰囲気のなかで自由にのびのびと学ぶことができる。健一はフリースクールで立ち直ることができた。

僕はそれまで「フリースクール」というものを全く知らなかった。なぜか気になって図書館に行って30冊以上、いじめ、不登校、ひきこもりについての本を読んでみた。そして読めば読むほどこれは奥の深い社会病理的なものを感じるようになっていった。そして先日、都内にある老舗フリースクールへ足を運んだのである。
フリースクールにはいじめにあい、不登校をしていた学生がほとんどだった。入学して3年目になるというAさん。中学でいじめにあって、不登校になった。その後、勉強が好きだから高校には行きたいという思いからサポート校へ入学するものの、そこは単位がとれるための授業しかしてくれなかった。再び味わった学校への失望、そして中退―まだ16歳だった。家でぶらぶらして3年がすぎたころ、母の紹介でこの場所へやってきた。以来3年間ここでの生活が続いている。今では得意のものづくりを生かし、ソーラーカー作りにのめりこんでいる。「いままでいろんな人と一つのものを作り上げるということがなかったので難しさも感じたけれど、あの人はこう考えるとか、刺激があって楽しい」。
増えつづける学校でのいじめ、暴力、不登校、中退、ひきこもり…。居場所を失った子供たちの行くあてはどこにあるのだろう。フリースクールにきて立ち直る子供は本当に氷山の一角だと思う。しかしそもそもこうした学校問題の背景はなんだろうか。僕なりに考えてみると、それは偏差値教育の弊害と、家庭でのコミュニケーション不足にあるのではないかと思う。学校や塾での成績に親は過度に一喜一憂し、勉強ができない子は先生からも親からも期待されない。塾に通って優秀な成績をとる子も、長時間の勉強と偏差値や順位への慢性的な不安、親の期待へのプレシャーに耐えている。それなのに家に帰っても「勉強しろ」という母親、不況で長時間労働を余儀なくされ家庭にいない父親。「もうだめだ」とプチンときれた子供たちはやがて非行に走る。その矛先はいじめや対教師暴力へと向かう。いじめられるのはだいたい勉強ができるおとなしい子だろうから、不登校、ひきこもりへとつながっていく。教師は週5日教育のために忙しさがアップし、慢性的な疲労で生徒へのケアがすこしずつ弱っていく。これらは僕の大げさな、そして最悪のパターンを勝手に想像したものだが、少しでもこうした背景があるから今の深刻な学校問題が起こっているんじゃないだろうか。
フリースクールで感じたのは、「人それぞれ自分らしく」という教育理念が実行されているということ。少なくとも学校に行けなくなった子供たちのケアがちゃんとされている。彼らの学ぼうとする意欲は「学校」をはるかに上回るものだった。こうした草の根的なところから教育ってのはできあがっているんだなとつくづく感じた。僕はやっぱり学校の方が好きだけど、こうした場所を見てなんかほっとするものを感じた。
執筆:2002/09/13 ヨシコ
 この夏、中国を旅した。北京から内モンゴルにある不和特浩(フフホト)という町に列車で行き、そこから草原へと向かうという、二週間ちょっとのとてもシンプルな旅であったが私にとって初めての中国一人旅は非常に面白いものだった。

もちろん中国といっても誰もが口にするようにその広さは計り知れなく(その計り知れなさを今回身をもって体験できたのも一つの収穫なのだが)、私が旅した中国はそのごくごくほんの一部に過ぎない。だけどそのごく一部の中国から私が感じ取り、なんとなく考えた中国人について少しだけ紹介しようと思う。


私が中国人について受けた印象は、中国人は日本人に対して非常に「親日」的だということだ。北京の市内はいたるところにバスが走っており、バスは重要な交通手段である。しかしそのバスの数と乗客の多さに圧倒され、最初は乗るのにちょっとした勇気が必要だ。「このバスで大丈夫かな」と近くを歩いている中国人に筆談で聞いてみる。すると、こっちが中国語が分からないから筆談で尋ねているにも関わらず、中国語でベラベラと答えてくる。焦って「ウォーシーリーベンレン(私は日本人です)」と言うと「アー、リーベンレン!リーベンレン!」と笑いながら中国語ではあるが一生懸命教えてくれる。そんな楽しい場面がいくつもあった。

北京市内の故旧、頤和園、天壇公園や司馬台長城などに行き、まだ日にちがあったので盧溝橋と中国人民抗日戦争記念館も行ってみることにした。盧溝橋は予想通り、地味なただの橋であった。記念館は予想通り、戦時中の日本軍が行ったいわゆる「残虐行為」をたくさんの写真と共に表していた。(「日軍暴行館」という部屋にある写真のコメントには「日本軍はこの女性の肉で餃子を作って食べたのである」と書かれている。)その一方で、そこには、社会見学だかなんだか知らないが小学生がたくさんおり、全く興味なしといった様子だ。それよりも、橋を渡った所にあるお土産ショップに群がっていた。ニコニコしながら、私になかなかうまい英語で写真を撮ってくれとも頼んできた。
最近読んだある月刊誌のなかで、『現在の中国の「反日」感情について、実際の日本人に対する感情とは「別次元」である』というような内容を目にした。つまり、『中国における「反日」「愛国」がヴァーチャルな観念の産物だからである』ということだ。
なるほど、「親日だ、反日だ」なんてのもいい加減なものだなと思った。個人的には、中国政府の態度にむかついたり、スポーツに関して、やたら中国に対しては他の国以上にライバル視したりと色々ある。だけどこれからもっともっと中国を周って中国を知りたいと思った。私は、結構中国が好きだ。
執筆:2002/08/30 大宮人
「衝撃のニュース」

残念なニュースを知った。

ダイエーの秋山幸二が、今シーズン限りでの現役引退を発表した。
どうやら持病の腰痛には勝てなかったようだ。
小学校1年生から応援して、今年で16年目。
宙返りをしてのホームインにあこがれた。
ホームランや盗塁に目を奪われた。
三振の多ささえ、誇りに思えている
私にとってプロ野球選手といえば、秋山幸二である。
西武からダイエーに移籍したときも、当然のように西武ファンからダイエーファンに鞍替えした。
というよりも、むしろ秋山ファンであり、私はそれを公言していた。
だから、今回のニュースは非常に衝撃的であり、とても残念なことだ。
1980年に西武入りして以来22年間、第一線でプレーし続けた。
私が生まれた年にプロ入りして、大学卒業(?)の年に引退する。
無理やりだが、何かの運命を感じる。
彼は数々の記録を残して引退する。
一方で、私はまだ何がやりたいのかもわからない人間だ。
彼の偉大さに比べて、とてもちっぽけに感じる。
ありがちな言葉だが、彼から夢や希望をもらった。
心の支えでもあった。
その彼が引退する。
きっと、悩みに悩んだ末の結論だろう。
これを機に、私も自分自身を見つめなおそうと思う。
執筆:2002/07/23 Kobiki
高校1年で登山を始めて以来、山というものがずっと身近な存在になっている。地元が(最近県政がらみでなにかと話題の)長野ということもあり、山という意味では最高の環境。

なにがいいのかということを言葉にするのはなかなか難しい。かの高名な登山家は「そこに山があるから」と言ったとか言わなかったという話だが、山や自然は、人をひきつける何かがある。辛いことももちろんあるのだが、それ以上に最高の瞬間がある。どんなに大変だったとしても"下界"に下りてくるとなぜかまた行きたくなるから不思議だ。

最近、山で異変が起きている。
テレビなどの影響もあり、山(特に百名山)には中高年の登山者があふれている。山に登る人が増えること自体はとても嬉しいしこれからも増えていってほしいと思う。
が、ルールを守らない登山者と、ごく基本的な知識や技能すら持ち合わせていなかったり、万一の事態に対する備えをまったくしていない登山者もまた増えてしまっている。先日、早大ワンダーフォーゲル部の部員が、奥多摩の山で滑落し重症を負ったということをニュースで知った。経緯はよく知らないが、ある程度の経験を持っていてもこういうことは起こりうる。経験がなければなおさらだ。
山に登るのに何かライセンスのようなものがあるわけでもなく、運がよければ無事下山できてしまうというのも現実だが、一度何か起これば、自分だけでなく多くの人に迷惑をかけてしまうというのもまた現実である。

 

そして、安易な救助要請が増えていることも気になる。困ったら電話一本でなんとかなると本気で思っているのかどうかは知らないが、地元の警察や救助隊は大変である。お金の問題ではないが、救助作業はときに100万単位のお金がかかることもある。助けたのに文句を言われたのではたまらない。
それ以上に、困ったら助けてもらおうという発想を山では(基本的に)してはいけないというのが大原則。電気もガスも水道もないところに好きでノコノコ出かけていくのだから。不測の事態に備えてちゃんとした準備をしてあり、過信をしなければ楽しいひと時を過ごせることまちがいなしである。
登山やハイキングは、ちゃんとステップを踏んでいけば危険ではなくむしろ安全に、そして(たぶん)生涯をつうじて楽しめるスポーツ。人生の楽しみがひとつ増えるはず。日常生活では得られない何か、それもとびっきりの何かが得られるはず。
是非一度いかがでしょう、山。
執筆:2002/07/14 迅助
1週間に最低1回は演劇を観る。人から比べれば多いほうだろう。

もともと、お芝居には興味があり、いまでもチャンスがあれば

役者になってやろうと思っているぐらいだし、それなりに訓練もしている。
ただそれだけであれば映画というのもあるだろうし、テレビドラマというのもある。
しかし、舞台の上というものにこだわりたい。それだけのものがあの上にはある。
まず、一発勝負だということ。大きい劇団になると1ヶ月以上も同じものをやり続けるが
1回として同じものはありえない。同じようであっても少しずつ違う部分はある。
だからこそ、その日その日のベストをつくす。
観る側もその一回きりのものを見逃さないように真剣だ。

次に、あのライブ感覚がたまらない。何百人という人が舞台の上という一点に集中し、同じように笑い、泣く。ワールドカップでの盛り上がりでもわかるが、その場にいてその雰囲気を共に分かち合うというのは一種の麻薬みたいなものだ。一度体験するとやみつきになる。外からみれば異様なことに見えるのだろうが。
映画には映画のよさ、テレビドラマにはドラマのよさがあるのはもちろんのことである。
が、それに負けないくらいのものが演劇というものにはある。
なのになぜ、いまひとつ普及していかないのか?
そのひとつにはチケット料金の高さというものが関係していると思われる。
例えば、4000円を出して2時間強のお芝居を観にいきますか?と聞かれてどのくらいの人が
観にいくだろうか。おそらく半分以下であろう。ただし日本ではプロの劇団のチケットで4000円というのは安いほうに入ってしまうくらいである。

イギリスなどでは1000円程度でお芝居が一本観れてしまう。物価の違いなどもあるので一概には言えないが、それでも驚くべき安さだ。なので、週末になると劇場はいつも満員になるらしい。
うらやましい限りである。
イギリスなどでは芸術振興ということで助成金が出ているのである。良くも悪くも日本という国はスポーツとか芸術に対する助成が少ない国である。だが、表現をする場と機会が十分に
与えられなければ、想像力は落ちていくばかりであるし、さらにそれを観てくれる、聞いてくれる人がいなければ何の意味ももたない。日本のアニメはそれを観る人が大勢いたからこそ、技術などが進歩し、宮崎駿さんが生まれ、「千と千尋の神隠し」が生まれたのではないだろうか。
最近では、テレビ、映画、舞台に壁がなくなってきて、様々な人が様々なジャンルに挑戦するようになってきたので、観る側にもそれなりに受け入れられてきているのは事実である。
だがしかし、観にいきたいと思っても、チケットが高いから行かないという選択をされてしまうのはとてもさびしい事である。もちろん私にとっても毎月のバイト代の半分がチケット代に消えていってしまうのはとてもさびしい(笑)。
なんとか今の半額くらいになるようないいアイデアはないだろうかと考えている今日この頃である。
執筆:2002/07/07 どどいつ
私は高校生だった夏、海の売店で働いていた。

その売店のオーナーは、ぶらーりとやってきては、そのたびに
「若えもんの歌じゃ調子でねえがじゃ」
と言って、有線のチャンネルをいつも演歌に変えちゃうことを筆頭に、数え上げたらきりがないほどキャラの濃い人だったのだが、今日話したいのは、そのおじちゃんのことではない。
そうではなく、私がそこで気づいたこと、つまり、お客さんの中で、店員に対してひときわ態度がでかい人々が存在し、その人々にはある共通点があったということだ。
そしてその共通点とは、
「彼らは、欧米人のパートナーをわきに連れていた」
ということである。
リゾート地では、というか、少なくとも私がいた伊豆の町では、多かれ少なかれ、観光客と地元民の間に、喜ばしからぬ構図が存在する。つまり、観光客は、金さえ落とせば何をやっても許されるかのような態度をとることが多いし、地元民はそのような態度を黙認し、1円でも多く観光客から吸い上げることに専念する。よって一般的にいって、観光客は態度が悪いことが多い。(110円のジュースを130円で、220円のビールを350円で売られた日にゃ、観光客が不機嫌なのも当然かもしれないが。)
そのなかでも、特に欧米人と一緒にいる男の人、女の人は、態度ワースト1だった。例えば、置いているタバコの種類が少ないといって、小馬鹿にしたように怒ったり、1万円札を放り投げるようにこちらによこしたりで、私は店員として、とても下に見られているような感じを受けた。私は当時、「あの人たちの頭の中では、欧米人と一緒にいる自分は人間だけれど、他の人間はみんなサル、とでもいう図式があるんだろうか?」と分析し、「そんな白人至上主義者って、なんてこっけいなんだろう」と思っていた。7年たった今、留学を通じてドイツ人を中心とする欧米人と付き合う機会が増え、今度は自分が欧米人と一緒に町を歩く側の立場になって(私の場合はパートナーじゃないけど)、「いや、欧米人と歩く日本人のすべてが白人至上主義者ではない。当時の分析は、かなり厳しすぎる分析だったのでは。」と気づいた。
こちら側の立場になって、いままで見えてこなかったものが見えてきたからだ。
例えば、
人ごみの中を、ドイツ人の子とドイツ語をしゃべりながら一緒に歩いていると、シェルターに包まれているような感覚がある。つまり、外部と違う世界を作ることができ、キャッチセールスだとか、新興宗教の勧誘だとかの邪魔が絶対ないので、とても楽。
よく、町で、大きな声で英語か何かをしゃべりながら、我が物顔に道を闊歩している"ガイジンさん"とその一味を見かけるが、彼らは別に、「英語しゃべれるんだぜー」と自慢して歩いているのではなく、そうやってシェルターを自分の周囲に作り上げて、快適空間を楽しんでいるんだろうなあと納得した。

あと、
外国語をしゃべっていて、急に日本語の頭に切り替えるのは、結構体力が要るので、店員さんに話しかけるのは、思いのほか重労働だということ。まして、通訳として、つれの欧米人の欧米流価値観に基づいた要求を訳さなきゃいけないときなどは、かなり心労がたたる。
例えば私は、ドイツ人の友人と一緒に日本で不動産屋さんを回ったとき、こんな体験をした。
ドイツ人にとって、日本の賃貸借にはナゾの制度が多い。例えば、礼金制度、保証人制度、又貸し禁止、友人同士での賃借禁止、外国人即お断り・・・。
それをまず私が彼女に説明する。
すると彼女は、なぜ?と訊くが、私は理由など知るわけもないので、

「いやあ、日本ではそういうものなんだ。」と答える。
すると彼女は、その制度の不条理さに腹を立てる。
私は日本人として、そのような制度を放置している自分に対して腹を立てられているような気分になってくるし、自分は自分で、それらの制度自体に腹が立つ。
すると、私には、目の前の不動産屋さんが諸悪の根源のように思えてきて、
結果、私の態度は悪くなる。
だから、私はそのとき、ずばり「欧米人と一緒にいる横柄な日本人」だったかもしれないが、こちら側としては、気取って言えば、「私は日本の常識とドイツの常識との板ばさみに会って、くるしんでいたのです。」などと言い訳をしたいのである。
このような立場に立って、
その態度の悪かった海の家のお客さんの間にも、似たようなやり取りがあったと想像してみると、かれらにも情状酌量の余地ありだなと思ったりする。
今後も私は、欧米人と一緒に歩く日本人という立場になることは、少なからずあると思う。その際、やはり、どのような理由があるにせよ、横柄な態度はいけないと肝に銘じ、周囲に甘えないでいかなければならないと決意した。
と同時に、態度が悪い人も、必ずしも思想が根本的に腐っているからというわけじゃなくて、さまざまな要因が絡み合って、そんな態度をとっているのかもしれないと、理解することも必要だと悟った。
執筆:2002/06/29 ほげ。
6月12日から18日の1週間、バドミントン合宿で中国の蘇州・南京・上海を訪れた。私自身初めての海外だったこともあり、音、風・・・と五感全てを使って日本と違う異国の雰囲気を感じることができて感動の連続だった。中国での文化・習慣の違いは数え上げればきりがないが、その中からいくつか紹介したい。

  まず1つ目は道路事情である。ご存知の通り中国は自転車が多い。人口が多い分自動車の台数も多いのだが、それでも自転車は中国人の重要な足となっている。中国の道路はとても広い。片側3車線ぐらいの道路が多く、さらにその外側に自転車専用道路がある。そして驚くべきことに自転車と自動車は同じ扱いで走るため、自転車が左折する際には大きな道路の真ん中で立ち往生しているのだ。見ているこちらの方が冷や汗をかいてしまう。交差点を1時間みていると、よく自動車と自転車がぶつかる。しかもそれが当たり前かのように彼らは軽く挨拶をかわすだけでまた走り出すのだ。さらに驚くのは歩行者である。横断歩道があろうがなかろうが、赤でも青でも(もちろん青は渡っていいのだが)車のびゅんびゅん走る道路を、「歩いて」横切る。中国では信号に関わらずみんなが常に注意しながら走っているため、逆に日本と比べて大きな事故は起きないのだという。言われてみると納得。歩行者用の信号も変わるのが速いのでこれはお年寄りや障害を持った人は渡れないと思ったのだが、常に周りに気を配っているのなら大きな事故にはならないのだろう。しかし道路で一番危険なのがバスの運転手だというのには驚きである。日本ではあまり見られない女性運転手も多いのだが、日本のより車体の長いバスをスピードを落とさずに曲がる様子は恐怖以外の何ものでもない。しかも車間距離は前後も左右も常に30cmもない。私たちも一度大きな道路を横切ってみたのだが、緊張で競歩のように歩いて不自然だったのか、ドライバーたちに笑われた。


 考え方が日本人と違うと特に感じたのは、南京体育学院でプロの中学生たちと3日間練習をして、最後にお礼として日本からのおみやげを渡したのだが、ガイドさんに「おみやげあったなら先に渡せばもっとよくしてくれたのに」と言われたことである。日本ではお世話になったお礼として品を渡すことが多いのだが、中国では世話になるときは先にプレゼントを渡した方がよりいい扱いをしてくれるのだという。これと似た話に、レストラン(餐庁という)での店員の態度の悪さがあげられる。かつて本当の意味での社会主義の際、店員もサービスしようがしまいが同じ給料を国からもらっていたので、その名残で田舎では今もサービスの悪いところがあるのだという。

 どうしても衝撃的だったので敢えて紹介しておこうと思うのが中国のトイレ事情である。中国ではホテル以外では基本的に紙は備え付けていない。そしてドアがないところもあればモヘンジョ・ダロ式に真ん中に水が流れているだけのトイレも2箇所。料金をとられたトイレ2箇所。ドアが顔が見える高さだったところ全部。入っている人と目が合った回数2回(ドアがないトイレでドア側を向いている)。日本とは違って川が少ないため慢性的な水不足である中国では、トイレに使う水も充分ではないのでトイレに注意を払わないようだ。さらに水が貴重なせいか、デザートは全食スイカだった。そしてスイカを搾ったままのスイカジュースまででてくる。ホテルの朝食のバイキングで中国人の様子を観察していたのだが、どの人も食事の皿の隣にてんこもりのスイカが置いてあった。日本に帰り、普段講師をしている塾に通ってきている中国人の小学生にも確認したところ、やはりその子の家庭でもデザートは必ずスイカだという。やはり水の少ない地質から生まれた食習慣なのだろうか。

  日本では当たり前のことが一歩海外にでてみると根底にある感覚から全く違う場合が多々ある。むしろ気候も歴史も全く同じという国の方が珍しいのだから、違って当たり前なのだが。しかしそれが旅のおもしろいところなのだと思う。宇宙人が関西弁を話す異文化コミュニケーションというCMがあるが、コミュニケーションは言葉だけではなく、表情やしぐさから共通の感覚を得ることだと今回の合宿で感じた。W杯で他の国を応援して盛り上がるのと同じように、気持ちのベクトルが一致することこそが異文化コミュニケーションなのだと思う。「相手を好きになれとはいわないから相手を理解することから始めよう」これが言葉も歴史も文化も違う国・地域とのコミュニケーションなのではないだろうか。まずは自分の体験から中国に関するレポートをしてみた。また違う国にいってみたい。
執筆:2002/06/22 ベル
普段、ありふれた生活を送っているせいか、「劇的」なものに憧れる。

そんな私が、3年間、サークルで舞台をやってきて、1度やってみたかったこと(しかし叶わなかったこと)は、舞台の上で死ぬことだった。

 舞台における登場人物の死。それは、私にとって、哀しくもあるけれど、美しいものだ。
 ご存知の通り、「レミゼラブル」は、革命期のフランスが舞台で、そこに出てくる学生は、自由と、欠乏のない新しい明日のために、バリケードを張って戦い、壮絶に散ってゆく。なかでも、革命のリーダー、アンジョルラスは、バリケードに登り、革命の象徴である大きな赤い旗を振りながら、命果てるのだが、バリケードから、仰向けに吊るされるような形となる彼の最期は、非常に印象的なシーンである。

「今が決断をする時だ 生きる権利? それともこのままか
 命の価値考えたか 今世界の色は変わる 日毎 塗り替えされている
 レッド 熱き血潮  ブラック 呪いの過去 
 レッド 夜明けの色 ブラック 夜の終わり 」(♪Red & Black )
《以下かっこ内は劇中歌のタイトル》

戦闘の前、学生達を鼓舞した歌が、戦いが終わり、墓場と化したバリケードに、再び、今度は葬送曲のように流れる。
 
 バリケードで戦う青年の1人に叶わぬ想いを寄せていた少女エポニーヌは、革命や難しい理論はわからないけれど、彼と共に戦うために、バリケードへ走り、その途中銃弾に倒れる。深手を負いながら、彼の元へたどりついた彼女は、その腕の中で息絶える。
恵まれない環境で育ち、片思いの彼のため、彼が一目ぼれした娘との仲介まで買ってでた

孤独で哀しいそれまでの人生。けれど、彼の腕の中の彼女は、とても穏やかな顔をして、最期に歌う。

「巡り会えたこの雨 雲は晴れて 安らか 遠い道のりを たどりついた」
「安らかだわ やがて雨は 花を咲かせるわ」(♪恵みの雨)
 
 ベトナム戦争後のベトナム及びアメリカを描いたミュージカル「ミスサイゴン」では、主人公のベトナム人少女キムは、米軍兵クリスとの間に、子供をもうける。しかし、戦後の混乱のなかで二人は離れ離れになる。数年後、彼女は、子供の父親であるクリスを求めてアメリカに渡るのだが、そのとき、彼は白人女性と結婚して暮らしていた。子供の未来のためには、アメリカ人の両親の子供として育てられることが一番いい、それには自分は障害になると考えたキムは、息子に向かって言う。

「お前が望むなら、私の命をあげるわ」(♪The Sacred Bird)
そして、彼女は、クリス夫妻に息子を託し、自ら死を選ぶのだ。 彼らは、皆、「何か」のために死んでいく。自由、平和な世界、愛する人、血を分けた子供の未来… 自分というものを超え、他者や、理想のために、命を賭けられる時、人は強く、美しく輝くのだと思う。 革命や、戦争のさなかではない現在の日本で、何かのために死まで選ぶことは、なかなかないだろう。「何か」のために「生きる」ことができる世の中だと思う。自分の信じるところに従って、命を燃やして生きていく。こういうと大げさに聞こえるが、ワールドカップの選手達が、私達に大きな勇気と感動を与えるのは、彼らが、少年時代からの夢の場所に立って、一瞬一瞬に賭けて勝負している、まさに信じるところにしたがって、懸命に生きているからだと思う。そして、それがまっとうできた時、人は、一生を振り返って満足がいくのだろう。
 しかし、そうやって生きていかれることも、全く当たり前ではない。
大阪の池田小事件から1年経ったが、殺された子供のお母さんが、1年経っても、傷は癒えない、真実が知りたい、自分の子供がどうして死ななければならなかったか、何のために死んだのか、一生考えつづけていきたい、と仰っていた。
 また、もしも有事法案のような法律が成立し、アメリカにとっての「有事」に従う形で、自衛隊が、出動するようなことになれば、その方達は、何のために生き、場合によっては何のために死ぬのだろう。

 先日観た、バレエダンサーの生活を描いたドキュメンタリー映画「エトワール」では、1人のバレリーナが「(私は)バレエを「生きる」の。バレエを「愛する」というのでは足りない。愛より強い想い。」と語っていた。
全ての人が、自らが尊いと思うもののために、生を全うすることのできる社会が、本当に平和で幸福な社会だと思う。それをどうやって築いていくか、今の私には大きすぎる問題だ。けれど、そういうことを頭に置きながら、生きていきたい。
そんなふうに、また「憧れる」私であった。
執筆:2002/06/15 大宮人
日本中がワールドカップに夢中になっている。

もちろん、私も。
ただ、とても残念なことが、正規の値段でチケットが手に入らないことだ。

テレビ画面を通してでも興奮はするが、スタジアムで味わえるそれは、テレビの比ではない。
やはり、サッカー観戦とビールは生に限る。
ところで、日本代表が予想外?の好調で驚いている。
好き嫌いを問われれば、好きなのでうれしいことだ。
しかし、どこか第三者的な冷めた目で見てしまう。
なぜだろうか。

それはおそらく、われわれの代表には違いないが、私のチームという愛着がもてないからだろう。
その点で、私の応援している地元チームは決して強いとはいえないが、人をひきつける魅力がある。
地元という点も、もちろん大きいが、それがすべてではない。
そして、その魅力に取り付かれると、中毒になる。
ELVIS PRESLEYで有名な「Can't Help Falling In Love (好きにならずにいられない)」がスタジアムに響き渡る。
これは私が好きな時間、空間のうちのひとつだ。
良いときもあり、悪いときもある。
最高のときもあり、最悪なときもある。
だが、普通のときはない。
こんなとき、人はこう思うのだろう。
人は普通の状態には、感動しない。
そして、良いときと悪いときの落差が大きいほど、心を動かされることになる。
私のチームの場合はこうである。
良いときもあるが、悪いときのほうが多い。
最高のときはほとんどないが、最悪なときはかなり多い。
そして、普通のときはない。
これが、そう思わせた理由だろう。
普通の状態がないので、いつもドキドキ(ハラハラ?)していられる。
そして、悪い状態に慣れている状態で、たまに得られる最高の瞬間。
この激しい喜怒哀楽の移り変わり、これを求めている。
(ただし、最高の瞬間は本当にたまにだが。)
ただ、好きなのではない。
好きにならずにいられない。
どんなにふがいなくても、どんなに情けなくても・・・。
そんな恋愛の片思いのような気持ちを、この曲名が端的に表していると思う。
(ただし、その気持ちは肩透かしを食らうことが非常に多いが。)
チームを応援することは、私の生活の中心にある。
大学の講義には出なくても、スタジアムにはほぼ皆勤である。
そして1勝すれば、次の試合までの1週間はそれを肴に酒が飲める。
これが優勝でもしようものなら・・・。
考えるだけでわくわくする。

が。

今心配しているのは、チームが常勝チームになってしまうことだ。

常に勝つことが普通の状態になってしまう、こんなにうれしいことはないが、果たしてこの気持ちを持ち続けていられるだろうか。
などという、当面はありえないような妄想をしつつ応援を楽しんでいる。一ヶ月以上も試合観戦していないと、禁断症状が出てくる。
まさに中毒である。
ワールドカップも良いが、早くリーグ戦を再開して欲しいと願っている今日この頃である。
執筆:2002/06/08 Kazut
先日のゼミ発表で、在日外国人の問題を扱った。中心に調べたのは永住者の参政権問題で、それ以外の問題、移民の問題などには深く携わっていない。しかし、世界各国の近況を見るに移民問題が非常に重要な問題としてクローズアップされている気がする。


EU内では現在、不法移民対策が重要な政策課題として取り上げられている。欧州では毎年数十万人の不法移民が流入していると言われており、右派回帰の方向性の中で、移民制限の強化が叫ばれているようだ。

イタリア下院は、国内のEU域外出身の外国人に「指紋押捺」を求めることを含む新移民法案を賛成多数で可決した。指紋押捺といえば、日本では強い反対運動によりようやく撤廃されたことが記憶に新しい。このような旧態依然の制度が復活することには新たなる差別の発生を危惧せざるを得ない。
保守極右連立政権のオーストリアでも移民制限法案が提出された。こちらは「ドイツ語ができない外国人を国外追放する」という驚くべき内容である。正確にはEU域外の外国人に語学と歴史の受講を義務付けて、2年以内に開始しない場合には罰金、4年以内に開始しないと国外追放処分ということらしい。学費も半分が本人負担となり、貧しく時間的余裕がない移民を事実上締め出すものだとされている。語学だけでなく歴史の受講をも義務付けるところが、右傾化の現状を示しているように感じられる。
前述のゼミ発表内で、わたしは参政権において外国人への権利保護を認めている事例として、比較法的にEUのオランダやアイルランドなどを紹介した。これらの国は、EU域内に限らず域外の外国人にも参政権を認めているからである。しかし、同時に気付いたのは北欧諸国がどこも外国人参政権に寛容なのに対して、オランダを除く経済大国は、一様にEU域外の外国人への参政権付与に否定的であることだった。EUの舵を握る国々のこの傾向は移民制限の方向性を象徴しているように思う。
アメリカにおいても、別の趣旨から入国管理を強化するプランが発表された。これはテロ防止のため不審者の入国を阻止する目的から、アラブ諸国などの「指定国」から訪問する外国人に指紋押捺と住所の登録を義務付けるものである。これはあきらかな人種差別であり、内外から批判の声があがり、国務省からも反対意見がでているという。
このように世界が様々な理由により移民や入国の制限の方向に向かう中で、日本では瀋陽総領事館での事件が発生した。日本側は総領事館の不可侵の侵害であるとして抗議していたが、問題の本質は難民に対してどのような対応をするか、明確に定めていなかったことにあると思う。国内世論の収まりとともに政府は、難民認定の見直しのため専門部会を新設するなど一応の対応を見せているが、どこまで思いきった見直しができるかは心許ない。

さて、世間はサッカーのW杯で盛りあがっている。中にはサッカーに全く興味がなく、この風潮を否定的に見ている人も少なからずいると思う。しかし、実はこのW杯も移民と無関係の問題ではない。
1998年フランスで開催されたW杯において優勝国は開催国のフランスであった。7戦全勝して優勝したフランスであったが、実は大会開始前は国内メディアによる批判の的に晒されていた。いはく「移民の寄せ集め」「国家さえ歌えない」と揶揄され、まとまりのないチームだとこきおろされた。しかし、始まってみると破竹の7連勝により優勝。アルジェリア系のジダン選手はフランス最高の選手という評価を受けたのである。
優勝パレードでは、パリのシャンゼリゼ通りが100万人の群集で埋め尽くされ、「ジズー!ジズー!」とジダン選手のニックネームが連呼された。そして移民の混成チームがシナジーにより世界最高という結果をもたらしたのだと世界の各紙が報じたのである。

サッカーW杯をテレビ観戦する人口は世界でのべ350億人と言われており、その影響力は計り知れないものがある。特に南米・欧州ではサッカーが日常生活の一部となっており、ブラジルでは世論を左右するほどの影響力を持ち、パラグアイではチラベルトというサッカーの代表選手が大統領戦に出馬したら確実に当選するとまで言われている。
欧州でもそれは似通っており、EU統合を市民が最も身近に感じたのは、サッカー選手のEU域内での移籍に関する判決(ボスマン判決)が判示されたときだ、とする声もある。
また、アルジェリア系のジダン選手・ガーナ系のデサイー選手は今回の仏大統領選を前に「代表チームの力は多人種にある。それはフランスの力でもある。ルペン党首の得票ができるだけ少ないことが必要だ」と国民に訴えた。結果ルペン候補は落選したが、W杯年における彼らの発言は少なからず世論に影響を及ぼしたものと考えられる。
今回の日本開催のW杯で、移民混成のフランスチームは苦戦を強いられている。コラム執筆時点では2戦を終え、まだ1勝もできていない。この状況を世論がどう見るのか。「やっぱり移民は駄目だ」と考えるかもしれない。この大会でフランスがどこまで勝ちあがり、またチームがどういう評価を受け、世論が何かしらの変化をするのか、そのような観点からW杯を見るのも面白いのではないだろうか。
以上が移民問題をめぐる雑感である。
執筆:2002/06/01 かずき
先日のゼミでは、ぼくは発表担当班であった。ゼミも2年目である。発表を担当するのも、もう何度目かである。なるべく早いうちに準備したほうが、直前になって焦らないで済むことは十分わかっている。十分わかっているのだが、今回も直前になるまで、なかなか発表の形が出来上がってこなかった。


そして、「死刑制度について」、発表前日。図書館にこもり、頭の中はすっかり「死刑存置論」とか「死刑廃止論」、もしくは「終身刑」といった単語で埋まりきっていた。図書館の閉館間際まで、膨大な資料と格闘した後、いや半ば負けそうになっていたのだが、休憩がてら生協へ行くことにした。
やはり閉店時刻が近づいた夜の生協は、客も昼と比べて断然少ない。がらんとした店内は、昼の混雑を考えると、まるで別の店のようでさえある。ぼーっと陳列棚を見ているぼくのまわりでは、ただ店内にかかっているFMのDJの声だけが響き渡っている。「死刑は経済先進国の中では、アメリカと日本しか認められていないんですね。ただ日本の場合は…、」そうそう、そうなんだよね。死刑廃止論の論点の1つには、その国際的・世界的な流れというのがあって…、ん?
気が付くと、何故かそのFMは死刑制度のことに付いて話し合っていたのだった。思わず、スピーカーのほうへ身体は近づき、そして耳はダンボ状態。

「それでは、今度はそういった死刑制度の持つ問題点について聞いてみましょう So next what do you think about……」

驚くべきことに、FMのDJが今度は英語でゲストにインタビューし始めたのだ。そして、それに答えている女性の声。ぼくは、はっきり言って訳が分からなくなってしまった。FMに欧米のアーティストがゲストに来て、インタビューをするというのなら話は分かる。でも、今聞いているFMは、欧米からの女性ゲストに死刑問題についてインタビューしているのだ。わざわざ日本に来てもらってまで、死刑制度について語ってもらいたいような女性が存在するのだろうか?存在するとしたら、どんな人なのだろうか?不思議な気分のままインタビューを聞いていたのだが、最後にその女性が翌日講演会をすること、そして名前は「シスター・ヘレン」というのだということが判明した。
そして、その後webで調べて初めて彼女が誰なのかを知る。彼女の名はシスター・ヘレン・プレジャン。実は、あのアカデミー主演女優賞を受賞した映画「デッドマン・ウォーキング」の原作者であり、その映画でアカデミー主演女優賞を獲得したスーザン・サランドンが演じた人物こそ、このシスター・ヘレンであったのだ。

そもそもゼミ発表で今回死刑制度を選択したのは、現在メディアで大きく取り上げられているような時事的・タイムリーな問題を扱うのはちょっとお休みして、たまには普遍的な議論のテーマを扱おうと思ったからだった。
にも関わらず、彼女の来日とちょうどシンクロしたことは奇遇なことであるなと思うし、反面このテーマを扱っていなかったら、確実に彼女の前を素通りしていただろうなと思うと、ただの偶然で片付けるようなものでは、ないのかもしれない。

そう思って、発表が終わったあと、「デッドマン・ウォーキング」を借りてきて観た。アカデミー賞授賞作品ということもあり、観たことのある人も多いのでは?ゼミ生の中で、もしまだの人がいたら、次回の死刑制度の発表までに観てもらえると、色々考えさせられて良いと思う。
物語も、最後のほうになると、死刑をのぞむ被害者の遺族、死刑囚に接するシスター・ヘレン、そして死刑囚自身、どこにも悪人はいないように見えた。どこにも悪人はいないにも関わらず、結末は哀しい。

観終わった後、ぼくのなかで、死刑囚の最後の言葉、
「おれはいいたい 人を殺すのは間違っている  それが おれでも あんたたちでも 政府でも。」 
この言葉が、しばらくはずっと、頭の中をぐるぐるまわって残っていた。