ゼミ生コラム

4・5期(2001年度)

執筆:2002/02/05 麒太郎
僕は友人仲間では、ツッコミ役である。理由は簡単。ボケ役をやるほど馬鹿ではないからではなくて、「人間の器」が小さいから比較優位に立たないと気が済まないからある。といっても僕を知らない人には信じてもらえないかもしれないので、以下にその証拠を示しておく。最近、高校時代の友人がHP上に公開している日記で書いていたものだ(Xは僕のこと)。 


―――だいたいXは言うことがおそろしくキツく、でもそれは大体図星なので言い返すことができず、さらにXの話は論理的というか、反論の余地をゆるさず、言われた方は押し黙ってしまう。

  ツッコミ役であることの証拠というよりは、僕が徹底的に悪人みたいだが、証拠がこの程度しかなかったので、勘弁していただく。でも、こう言われるような男は、友人関係においてツッコミ役しか期待されないだろうなということは賢明な読者でなくても容易にご想像がつくことと思う。ちなみに、獲得される「笑い」については、それなりの打率を叩き出していると言っておこう。

  ついでに言えば、僕にとっては過大な賛辞と思われる部分もある。たとえば、論理的というのはたぶん間違いだろうと思う。そもそも彼は、理科が出来る文系人間しか受からない変な某国立大学の学生なのだが、他人の論理性を判別できるほどには論理的な男ではない。なにせ、高校時代に電車の中で落語をやって、傍らに座っているオジさんに「君、うまいよ」と拍手されたほどなのだから。さらに、彼の駄洒落は最悪である。真夏の炎天下にしか役に立たない。


……以上の文章からお分かりだろうか。このコラムの目的は、わが敬愛するボケ役キャラとの中学時代からのうるわしい友情について叙述することではない。表題にあるとおり、「ツッコミ役の条件」について、である。僕が世間の水準からいって、どの程度のツッコミ・スキルを持っているのかはよくわからない。しかし、以上の文章から推察されるツッコミ役の条件とはこれである。

1、論理性は必ずしも必要がない
  上記の文章の論理的齟齬は明らかである。「落語がうまい」→「論理的でない」がどうつながるのだろうか?

2、ツッコミ役はボケ役よりは高みに立たなければならない
  いうまでもないことであろう。揚げ足はすべて取った上で、心臓に突き刺さる一言を発しなければならない
――「他人の論理性を判別できるほどには論理的な男ではない」。

3、普段からの人間観察が大事
  結局、このコラムで唯一、言いたかったことはこの点に尽きる。心臓に突き刺さる一言を放つためには、普段から、その人間をよくよく観察(あらを探し)して、いざというときに使えるようにストックをためておくことである。内容面については、厳密に真実である必要はない。相手の自己イメージがそうなのであれば、真実との多少の齟齬は目をつぶって、それに乗っかるべきである(ただし、真面目なモードの時にフォローは入れておいたほうがいい、タイミングともかかわるが)。

  そして、ツッコミはタイミングが非常に重要だ。とくにボケ役キャラとはいえない友人(ただし、一定以上の親密さを確保しておかないと大変なことになる)に対しては、むずかしい。私見によれば、相手が舞い上がるような状態になっているときに、周囲の受けを狙って叩き落とすような、そのようなタイミングがもっとも望ましい。まあ、一度しっかりキメて周囲に認識させてしまえば、2度目以降は至って楽になる。ただし、使いまわしすぎると嫌われる。各自精進されたい。

  さて、その友人はその日記の別の部分にこう書いている。

――実のところMのそういう部分は大学に入ってなりをひそめ、というか自分で気づいて直したに違いなく、
(引用者注:「そういう部分」とはツッコミが厳しすぎ、他人を傷つけかねないこと)

  残念ながら、「自分で気づいて直した」というわけではない。これは上記3、にかかわることである。彼は中学高校の友人であるため、最近はめっきり会う機会が減った。われら男子校OBにとって、頻繁に電話で近況報告しあうような習慣はない。したがって、ツッコミ役がなすべき「ターゲットに関する情報収集」がままならないのである。その結果、年に数回、彼と会っても、こっちは材料を収集していないので、なかなか本領を発揮できないことに相成る。やはり、HP上の日記では、「生きた素材」が手に入らないのだ。

  というわけで、今回の「毒言」は終了です。続行予定は未定。ネーミングに縛られず、たまには「尊敬する人物」とかなんとか、ありがちな話題も書く気でいます。感想・要望・忠告・脅迫などがあれば、ぜひ掲示板へお書きこみ下さい。ちなみにこの高飛車な文体は、安念潤司先生(成蹊大、憲法・行政法・経済法)の真似のつもり。本当は蟻川恒正先生(東北大、憲法)ぐらいペダンチックな文体をマスターしたい。

 

執筆:2001/12/17 さかぼん
その1はこちら

 まさかここまで来るとは思わなかった。何か雷が落ちたような衝撃に突き動かされたとしか言いようがない。この世の中に基本的人権も与えられなかった人々がいること、差別に苦しんだ人々が実際に生きていること。隔離施設の多磨全生園とはいったいどんなところなのか見てみたい、それだけだった。

 多磨全生園は東村山の広大な施設で、北海道大学に似ていると思った。中には公民館や共同浴場、スーパーもある。驚いたのが、周辺住民も自由に通行し広場で野球をしたり、ゴルフのスイングをしたりと、普通の公園のようだった。広場でゲートボールをしていたおばあさんに「入園者ですか」かと聞くと、「違います」と言われた。隔離施設じゃなかったっけ?私はさびしげな古びた建物に押し込められているのを想像していたが、それは全くの間違いだった。入園者は一棟4室の長屋で生活していた。家の前には各自の庭があり、花や野菜が植えられていた。老人が多く給食配達車が走っていた。おそらく一軒一軒まわっているのだろう。共同浴場からは笑い声が漏れていた。私は思った、私よりいい暮らししてるなと。

 だが実際はそうでないのはわかっている。次に訪れたハンセン病資料館で差別の歴史を見せつけられることになった。資料館には、食器、着物、障害者用器具など生活用品の展示の他、人形による病棟の復元セットその他ハンセン病の資料が展示されていた。らい腫型らいの写真(足)・マネキン(顔・手)を見て症状を知ることができた。足型穿孔症という症状がある。痛みはないのに歩くうちに足底がぼったり腫れ、足を切断することもあるというものであり、多くの人が悩まされた。この件で山井道太という人が、症状で包帯を汚して(当たり前なのに)叱られ、新しい長靴がほしいと言えば42日間ご飯1杯に梅干という生活を強制され若くして亡くなったという事件もあった。またけんかや逃走者は監房に一方的にぶちこまれ、壁にはのろいの傷跡があったという。ぞっとする話だが事の残虐性をよく表した事件といえる。資料館には意外にも若い人がけっこう来ていた。特に熊本判決からは1日平均40人から80人に倍増したという。天皇はじめ皇族、政治家、知事らも多数訪れ、過ちを繰り返さぬよう心に刻む。

 瀬戸内寂聴さんはハンセン病患者・国本衛さんの本について7月11日付毎日新聞<時代の風>で、「人間は、どのような逆境の中でも、生きていく意欲と未来への希望を捨てさらない生命力を与えられているのだなという、人間性への信頼を感じさせてくれる……『私が生きている間に判決の日を迎えることはないかもしれない』と書いた国本さんは今、どんな想いを噛みしめていることだろう。しかし、本当の戦いはこれからなのだ。奪われた過去の日の、幸福であるべきはずの時間は、どう逆立ちしたって、取り返すことはできないのである。……私は、自分の無知を改めて教えられ、ハンセン病の人々の悲痛な苦悩の歴史に、頭を垂れるばかりであった。……より多くの日本人が、ハンセン病についての知識と深い懺悔の念をもっともっと心に刻みつけて欲しい」と書いている。

 私の思いもまさにそれである。人は病気の時に一番弱く、他人に支えになってほしいと願う。そうした時に強制収容し断種手術までした政府のやり方は多くの患者を傷つけた。そこには基本的人権すらない。また社会も「らい」と呼んで怖い伝染病だ、近づくなと差別を長年にわたりしてきた。私はハンセン病患者に黒人差別をイメージした。黒人差別は長い間、ヘイトクライムとして続いている。また黒人のなかでも、色のより黒い方に差別がされるというが、ハンセン病の後遺症の大きい方に差別がされるのと同じである。神さんは「日本社会から差別をなくしたい」と訴える。それなのに大臣は謝罪しても官僚はそれに対し患者の目線に立っていないのではないだろうか。極めて不幸なことだと思う。それを変えるのは世論しかないだろう。ひとりでも多くの人がハンセン病について正しい知識をもち、全生園に立ち寄るのをお勧めする。

 今回、講演会をきっかけに、はじめての全生園で、敷地内を縦横無尽に歩きまわり、資料館を見てきた。文献も読み、ハンセン病に対する私の見方は明らかに深まった。旧厚生省のやり方に対する患者の不満もわかるが、国にもわけがあるのだろう。折をみて官僚に話を聞いてみようと思う。また、入所者の方の話も聞いてみたいと思っている。その時は追って報告する。
執筆:2001/12/17 さかぼん
ある日突然、強制連行され死ぬまで差別を受けつづける苦しみを想像できるだろうか。長い間、排除・差別・隔離の歴史を背負わされてきた人々がいるのを知っているだろうか。それがハンセン病である。


社会の無知と偏見による悲劇を、基本的人権さえ十分に与えられなかったことを私たちは決して忘れてはならない。

 12月13日、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)事務局長・神美知宏氏の講演を聞く機会があった。私はそれまでハンセン病についてほとんど知識もなく、関心も薄かった。しかし講演は心に重く響きわたる素晴らしい内容だった。
 「現在ハンセン病患者4375人が13箇所の療養所に入所しています。患者の平均年齢はすでに74歳になっています。らい予防法は憲法に違反するといわれながらなかなか廃止されませんでした。私たちは国に訴えてきたけれど、国民の知らないところで官僚を責めても痛くも痒くもない。私たちは世論をおろそかにしていたことに気づきました。国相手の裁判は10年かかるといわれるのに2年ほどで済んだのは世論の力だと思っています。私たちが真に望むのは、『正しい認識をもってほしい。患者への差別・偏見をなくしてほしい』ということです。

 これまで1500人が社会復帰をしました。しかし社会からも家族からも長い間隔離されると、現実は難しいのです。本心では社会復帰したいけれど、療養所で骨をうずめる覚悟の人がほとんどではないでしょうか。私もそうです。私の本名は神といいます。ですがハンセン病になって、家族にも受け入れられず、神崎という偽名で最近まで生きてきました。母の葬式にも呼んでもらえず、その日は部屋でひとり泣きました。でも菅厚生大臣(当時)が謝罪してくれて本名で生きる決心がつきました。昔は自殺も考えたけれど今は幸せです。

 ハンセン病患者をゼロにしようという無らい県運動があったのを知っていますか。強制的にトラックにぶちこまれ、その家は大々的に消毒されたのです。熊本判決は『人間奪還の裁判』だったと思います。
私の心配はふるさと(福岡)が私を迎えてくれるだろうかということでした。でも今ふるさとで私を迎える計画があるようです。新しい風が吹き始めた気がします。お互いの幸せだけでなく日本社会から差別をなくすために努力しなければならないと考えています。」

講演後、私は神さんに「熊本判決の賠償金は予想をはるかに下回るけれど生活に支障はないか」「差別があり社会復帰は難しいということに社会はどんな対策をとるべきか」との質問をした。すると、神さんはこう述べた。「賠償額は一人あたり700万から1400万です。弁護士は1億あってもおかしくないと言っています。療養所にいるかぎり生活費は国に面倒見てもらえるので大丈夫です。ですが私たちはお金のことよりも社会が正しい知識をもち、差別をなくすほうが大事だと思っています。」「今心配しているのは小泉改革によって療養所が廃止、統合されるのではないかということです。移転させられるのではないかと。今、療養所まるごと社会復帰してもよいのではないかと考えています。国民みんなに使ってもらってもいいんじゃないでしょうか。社会に還元したいと考えています。」苦しんできた人たちなのに、前向きの姿勢を失っていない。私は、人間への信頼にたいへん感銘を受けた。それは「社会へ還元したい」という言葉にも表れている。

話を聞くうち、もっと知りたい、実際に療養所に行って現場を見てきたいと思い、12月16日多磨全生園に向かった。

その2はこちら

 

執筆:2001/11/06 さかぼん
ザザーっというすがすがしい音。どこまでも澄み切った青空の下、青さとコントラストを描いて打ち寄せる白い波。太平洋という大いなる自然に包まれ、砂浜を見下ろす堤防に座りながらはるか海の向こうに目を向ける。

空と海の境界線は薄くなってゆく。そして海の向こうはどんな世界なんだろうと思いをはせる。日常を忘れ、空と海とまるで一身になったかのような感触を味わいながらゆっくりと時は流れる。
私は海にいると、どんな時よりも幸せだと感じる。

海はさまざまな表情を見せてくれる。やさしい顔、荒々しい顔、元気な顔…。
喜怒哀楽をもっているところはまるで感情をもつ人間のようだ。そこが魅力をかきたてる。朝、地平線の彼方から、まばゆいばかりのオレンジ色で染めながら太陽が顔を出す。
水面に反射する光の帯が海を鮮やかに彩り、目覚めを呼びかける。
太陽の出ている間、ザブン、ザザーと波打ち際は活気にあふれる。
魚たちは海の中を泳ぎまわり、空にはカモメがピーピーと声をあげて飛びまわる。砂浜には海を楽しむ人々がゆったりとくつろいだ表情をうかべる。

そして夕方、日は空というキャンバスにまばゆいピンク色の絵の具を塗ったかのように彩りながら、水平線の彼方へとやわらかく静かに沈んでゆく。

しかし日が落ちあたりが漆黒に包まれると、海は全く別の表情になる。
夜の海はすべてを引き込んでしまうような怖さで覆われる。
見渡すかぎり真っ暗な世界で、 とめどない静けさ、そして恐怖。
さらにぞっとするような寂しさが夜の海に孤独をもたらす。

 私はただ砂浜に座って、繰り返し寄せては返す波を見ながら、ぼーっとする時間が好きだ。

何もない、何もしないことのよろこび。

悲しいことや嫌なことがあったとしても、どこか片隅に行ってしまったかのように心を洗い流してくれる。心地よいリズムが心の空洞に響き渡る。
空海はその昔、修行の途中に空と海の境界線を見て悟りを得たという。
空の薄い水色と、海の青さが重なり、空と海の一体感の中にいる小さな自身を感じたのだろう。

海の向こうーそれはあくなきロマンなのだろうか。はるか昔、世界に果てがあると信じられていたころ、勇気あるヨーロッパ人が遠くジパングという夢の島を求めて旅立ったように。それは飛行機でネットワーク化された現代社会において
も変らない。

 海を楽しむ方法は他にもたくさんある。例えば、私はスキューバダイビングのライセンスを持っている。ウェットスーツに身を包み、タンクを背負い、水中へ潜る。浮力をうまくコントロールしながら、 フィンで蹴りながらすーっと進んでゆく。
水中では陸とは別の時間が流れている。 自分のすぐそばを熱帯魚が通り過ぎて、魚と戯れることができる。餌を用意しておくと、魚の群れが集まってくる。掌をつっつかれるのは多少ちくっとするけど、魚に囲まれている瞬間はとても言いあらわせないほどのいい気分になる。ダイビングやったことある人には十分わかるだろう。

ただ、1日2ダイブでだいたい日本だと1万2千円くらいはかかるから、学生のうちはそうできるものじゃないけど。シュノーケルセット(マスク、フィン、シュノーケル)があれば深く潜れないけどそれなりに楽しめる。
海岸をドライブするのもまた至上の楽しみを与えてくれる。
海からさわやかな風と波の音を聞きながらバイクや車で走ると、開放感が全身にあふれてくる。

 海が好きだと、自分も地球の一部だという意識がでてくる。
だから、地球環境のことを大事にしなければという気持ちになる。
海は生きるもののふるさと。海のさまざまな表情を感じ、楽しむことによってますます人生を豊かにしたい。 
執筆:2001/10/01 かずき
昨日9月30日は早稲田大学のオープンキャンパス日であった。 

実は、ぼくはこういったオープンキャンパスの際などに、見学者に早稲田構内を案内する「キャンパスツアー」のガイドをやっている。

昨日も実に多くの、高校生・受験生をはじめとする来訪者の方々があった。 皆、興味深くこちらの話を聞いてくださり、さらに「ツアー」の後、個別に質問に来てくれたりする。大学での生活や勉強についての質問が多いのだが、 今回は、特にぼくが法学部だということもあり、法学部志望の方から沢山質問をいただいた。

その中で、印象に残っている親子の方がいた。
やはり法学部志望の高校生と父親の親子だったのだが、色々話しているうちに、その方達が 
「やはりこれからは、ITと英語と法律が大切になりますよね。」
と仰っていたのが印象に残った。 

現在「ITと英語」の必要性は、嫌というほど声高に叫ばれている。
ましてや、ぼくのようにそろそろ就職が近づく段階になると、なおさら自分自身、改めてそのことを実感する。
しかし、そこに、もう1つ「法律」と付け加える人は希少のような気がしたからだ。

「ITと英語」のもたらすもの。それは、インターネットを初めとする情報技術とそこでの共通言語である英語によるグローバル化である。 
政治的にも、経済的にもグローバル化が進み、 国境、人種を越えて活躍するNGO、NPOといったものが注目されている。
そこで、そのグローバル化の社会の中での価値判断のために、何が重要になってくるかと考えたとき、やはり「法律」、それも別に個別の条文を知っているということでなく、 「法律的思考」いわば「リーガルマインド」といったものを、一般の市民も持つことだと思うのだ。

一方、今回の「同時多発テロ」においても、テロリストは国家も国土も持たないグローバルな組織であったのは皮肉であった。 
今日(01年10月1日)の直言で水島先生は、今回のアメリカでの「同時多発テロ」のことに関し

「テロを実行した者たちが潜んでいる(とされる)国に対して『報復』を行うことは許されない。 「武力復仇」を克服し、これを禁止するのが  国際法秩序である。」

と、書かれていた。 
攻撃をされたから、武力で「報復」する。
これは、水島先生が言われているように、国際法秩序を崩壊させるものであるし、そもそも、「法律的思考」から出される発想とは到底言えない。
社会はもう新しい世紀を迎えているにも関わらず、前世紀と同じことを繰り返してはならない。

そんな中、これからの社会での「法律」の重要性を考えて 法学部を受験しようとしている 高校生の親子に会えて、僕は少し希望に似た気持ちを感じた。