ゼミ生コラム

11・12期(2008年度)

執筆:2009/01/15 nabe_yas1985
のっけから面食らった。

 「早稲田大学当局は、ファシスト的弾圧を謝罪せよ!」
 冬の早稲田大学キャンパスに拡声器から叫び声が放たれる。シュプレヒコールを求める声に、私は途方にくれた。一体これから何を話せばよいのか・・・。

 早稲田大学入学式で、一人の法学部生がビラをまき、「不法侵入」容疑で早稲田大学職員によって私人逮捕されたのは、2年前のことだ。「学生運動史」を卒業論文の研究テーマとする私は、今日の学生運動の現状を聞くため、一週間前に逮捕された当事者に取材を申し込んだ。
 「百聞は一見にしかず。ぜひ私たちの抗議集会に来てください」そう電話で伝えられ、赴いた「集会」は予想と少し違っていた。場所は、早稲田大学正門前。正門前の講堂ではなく、文字通り正門前の公道で粗末な机を三台並べた場所が集会場である。真冬にも関わらず、吹きさらしで風をよけるものは何もない中、「集会」は開始された。

 「大学は不当逮捕を謝罪せよ!」
 「まことに笑うべき教員○○(実際は実名だ)の言動!」
 「早稲田大学には自由なんてひとつもない!」
 慣れない怒号の連続に、私はくらくらと目眩をおぼえたが、しかしこの奔放な演説に耳を傾ける者はごくわずかだった。数人の彼のシンパたちと、ひとりふたりの一般学生と、スピーカーの音量を監視に来る警備員を除けば、一般学生の聴衆は限りなくゼロに近かかった。通行人の往来は絶えることがなかったが、彼らの多くは、演壇に立つ彼に対して一顧だにしない。いかにも大学生活が充実しているという様子の男子学生も、派手な化粧をした女子学生も、靴音をアスファルトに高く響かせて足早に通りすぎてゆく。たまに足をとめて、ぼんやりと演説風景を見る者があるとしたら、きまってもの珍しそうに笑いながら見る「観光客」だったが、彼らも、5分とはたたずむことはなかった。私は少し、演説をする彼のいらだちやヒステリックな怒りの理由がわかったような気がした。徹底的な無視、これほど人間の神経をささくれだたせるものはない。

 集会後、話を聞いた彼は、先ほどとはうって変わった笑顔にあふれていた。「何でもお話しますよ」。彼の笑顔に誘われて、素朴な疑問から取材を開始した。「なぜ、こういった運動をなさっているのですか?」
 「市民社会や戦後民主主義そのものが崩壊しつつある。国家、資本、あるいはグローバリゼーション。これら権力によって、カッコつき民主主義的なものが破壊されてきている。この流れの中で大学の自治すらも許されなくなっている。私はそれに対して反対しないといけないと考えている。このビラまき反対闘争もその一環です。」彼から手渡された、ビラにも同じような文言が書いてあった。うんうん、とうなづきながらも、若干の予定調和的答えに戸惑う。
 「学生の権利を弾圧し、特定の社会に要請されるゴールにむけて規律・訓練する大学当局への抵抗」は、遥か昔から学生運動の一大テーマだった。今となっては、「(第一次)早大闘争」という名の歴史的事象に過ぎないが、1966年には学生の意向を無視した学費値上げに対して100日間の全学的ストライキが敢行された。しかしながら、現在時代は変わり、「大学当局からの権利侵害」に対し、同情をよせる学生はほとんどいない。
 先ほどの怒号を思い出し、おそるおそるだが私は口を開いた。「はっきり、言います。私も、『サヨク』に分類される人間ですから、おっしゃられる問題は、確かに今日も思想的有効性を失っていないと思います。でも、実際に、今日の多くの学生は、そのような問題に関心を示していませんよね?そのことについては、率直にどのように考えていらっしゃるのですか?」
長い沈黙が流れる。この時間が彼の悩みの深さを物語っていた。

 彼の苦悩を察すると私も言葉を失った。早稲田大学のみならず、現在のほとんどの大学において学生は「社会問題」に興味を示していないといわれている。それが、D・リースマンが「学生消費者主義」となづけた大学生の「お客様意識」だ。
現在の学生消費者主義は学生数の確保に腐心せざるを得なくなった、80年代のアメリカの大学においてまず顕在化した。それまでのように学生を市民社会への規律・訓練の対象としてではなく、大学という資本に対する消費者として規定してそれに包摂しようとする大学運営方針だ。これは、90年以降学生数の確保に悩む大学にも当然に導入された。
 具体的には、モダンな学生会館・「国際」「環境」などの名前の学部への改組、一芸入試、AO入試などの入りやすい大学作りへと累積していった。
 「お客様」として、「安心」で「安全」で「役立つ」大学を要求する権利を確保した大学生は、ひたすら自分にとっての異物の排除も要請した。大学に求めるのは、自らの成長に役立つ「環境」「教育」のみ。それらの経済的合理性に非合致の、たとえば「大学同級生の人権」や「若者らしい愚考をする権利」については一瞥だにしないようになっていったのだ。
「早稲田らしい自由さ」や「バンカラ」さも、このお客様の要請の範囲内でしか認められないのが、現在の早稲田大学だ。「早稲田らしさ」を標榜し、全学生に訴える学生団体も、自身の活動に必要不可欠な「大学公認」の旗印を守るためには、驚くほどあっさりと大学の意向に従う。

 「ビラまき不当逮捕」問題が全学的盛り上がりを見せないのは、以上のような文脈に沿うと、それが「自分とは関係ない」問題だからに他ならない。「おっしゃることはわかります。大学当局だけが、抗議の対象になるのではなく、同じ大学生通しの無関心も問題の一因なんだということは認識しています」。手に持った、ビラを机の上におき、彼は語り始めた。
「答えになっていないかもしれませんが、でもだからこそ、私たちの活動のような『不潔』な『異物』が同じ構内の存在し続けていることが、メッセージになるかなと思うんです。求めている『安全で清潔』なものと、違うものに触れてもらうことでね」先ほどとは打って変わって、たどたどしく語る彼の口調には時折、生まれの沖縄方言が入り混じる。「こういった早稲田ナショナリズムみたいなことは言いたくないんだけど、たて看板やスピーカでのピケが入り混じる「混乱」にこそ、早稲田大学の公共圏としての役割じゃないのかな」

 気がつくと一時間が立っていた。もう時間だという彼に最後に一言だけ聞いた。現在、環境だか労働だかのNPOブームですよね。そういったブームに乗って、「オシャレに学生運動」をやるよう訴えるつもりはない?
「ないですね。不潔に排除される異物であるからこそ、僕の活動は意味があるんですよ」
ふと気づくと、彼の手には拡声器がそのままぶら下がっていた。一時間近く立ち話をしている間、彼は拡声器を下に置きもせず、そのままの姿勢で話を続けていたのだ。
 私は礼を言い、彼が自転車にまたがって去ってゆくのを見送った。
 その後ろ姿を見ながら、「学生運動家」という学生生活に思いをめぐらした。彼はいったい、本当にその愚直さが報われる日がくることを信じているのだろうか。それなりにサークル活動を満喫し、それなりに早稲田精神に染まり、それなりに学問に打ち込み、それなりに就職活動をし、卒業しようとしている私は彼にかける言葉がなかった。
 長い間、学生運動は社会主義革命と密接なつながりを持っていた。「大学から社会主義化命を起こそう」と多くの政治セクトは学生運動を手段として利用しようとしていた。そのため、大学内の問題を主要な闘争テーマに掲げ、発信していく彼の手法は学生運動家の中でも異端である。
 だが、気がつくと「安心・安全」の大号令のもと、次々と異端を排除する法案の成立を国民が望む現在、もしかすると「異物のいる公共圏」を守るとする彼の活動は社会主義革命よりも困難かもしれない。あの拡声器の演説は、こんな時代の学生運動の象徴なのかもしれない、とも思われた。声が割れて聞こえなくてもいい。ただ、校門を通る際に、眉をひそめ会話を中断せざるを得ない大音量。そんな日常大学生活の一時停止こそ、その唯一絶対の目的ではないだろうか。
 学生運動家という異形の男たちもまた、間違いなく私たちと同じ早稲田大学の日々を生きている。

私は、2009年、清潔と安全とほんの少しのたて看板と拡声器のあった早稲田大学を卒業予定だ。
執筆:2009/01/03 MEI
 新年、明けましておめでとうございます。「月日は百代の過客」とは言いますが、毎年、年の暮れが迫ると一年の短さに名残惜しさを感じつつ(やばい、もう終わっちゃった!!)、年越しの準備に追われてどこか気分が浮き立ち(久しぶりの実家、大掃除、年越しそば、紅白、おせち作りとその買い出し)、元旦をまた新鮮な気持ちで迎えることになります。今年でゼミ生活も残り一年となり、色んなことが後半戦に入りました。2009年も協調性を忘れずマイペースに頑張りたい(楽しみたい)と思っておりますので、ありきたりではありますが、今年もどうぞよろしくお願いします。


 さて、新年行事ということで初詣に行かれた方も多いと思います。今年は晴れていたのも幸いして例年よりも初詣に行った人は多めだったとか。西日本では三社参りと言って、一社だけでなく複数の神社にお参りする習慣があるお家もあります。私の家も家族連れだって、大抵近所の氏神様のところを三つほど回るのですが、今年は母方の実家がある山口に帰省したことなどもあって、下関の神社に張り切って連れまわしてくれた伯母のおかげで、数えてみると七つほども参拝していました。そんなにお願いごとのバリエーションもないんですけれども。伯母が神社の賽銭箱を覗いて、「今年はお札が少ない」と呟いていましたが、これも金融危機の影響でしょうか。
 参拝し終わった人たちは、何をお願いしたのか連れ立ってきたご家族や友人と楽しそうに話していたりするものですが、ふと二、三年前に小耳にはさんだ、五十代と見受けられるご夫婦の会話を思い出しました。ちょうど私と同じくらいに参拝が終わった奥さんを、先に終わった旦那さんが待っていて、

「何をお願いしたん?」
と旦那さんが奥さんに尋ねると、奥さんは、

「今年も家族みんなが健康で幸せでありますように、って」
と答えていました。すると、旦那さんは、

「自分のことをなんか頼めば良かったのに」
と何やら不満そうでした。

その時の私は、まだ高校生でしたが、旦那さんと同じく(実際どうお思いだったのかは推測の域を出ませんが)奥さんの答えにどこか物足りなさを感じました。たとえば、TOEICで目標のスコアがとれる、とか、茶道の免許状をとる、とか何でもよいのですが、自分の目標とか夢を差し置いて、初詣にありきたりな家内安全を願うなんて面白みがないというか、主体性がないというか。家族の人生が自分の人生みたいで味気ないんじゃないかな、という風に思っていたんですね。自分が高校生で大学受験などを控え、「目標を明確にして」、と言われるような時期だったから特にそう感じたのかもしれません。なんていうことはない、どこにでもあるような初詣風景ですが、それを最近思い出して、昔と違う感想を持っていることに気がつきました。
 それはあれから流れた数年の月日が、世の中にはいろんな人生があって、いろんな価値観で生きる人がいるということを実際に教えてくれたからだと思います。大きな出来事が人生の考え方を変えたというよりかは、ちっちゃい出来事がいろんな方向を示唆してくれました。例えば、いいお母さん・お父さんになる、家族を大切にできるような生活をしたい、という人が、バリバリのキャリアを築く人と当然に同じラインに立って自分の望みだと自信を持って主張できるゼミの雰囲気もしかり。あるいは、NHKの朝の連ドラで好評を博した「ちりとてちん」を見たこと(笑)。主人公は、美人で出来のいい同じ名前の友達と比較され、幼いころからずっと脇役人生を歩み、「お母ちゃんみたいになりたくないの!」と叫んで大阪へ出ていき、女流落語家になるのですが、結局は物語の最後で、これからまだまだ主役として活躍するという時に引退して、落語家のおかみさんになることを決めます。他人の世話ばかり焼いて自分のことは二の次の脇役人生、と嫌っていたおかあちゃんみたいな存在になることを決意する、という天職灯台もと暗し、なお話ですが、他人の人生にスポットライトを当てる仕事の素晴らしさに目覚めるには、そしてその素晴らしさを視聴者である我々に納得させるためには、多くの試練を経て女流落語家になって、恋が実って主役人生を満喫して、それでもやっぱり・・・・!という経緯が必要なようです、この時代。
 主体的な夢を持つ、目標を持つことが良いことだ、というのは勿論良いことでしょう。ですがその価値観が強迫観念みたいになって、それ以外は道にあらず、脇役人生是即ち負け組であるというのもまた息苦しいように感じるものです。
 一年の一番初めに、その年で一番のお願いごととして「家族の幸せ」を選んだ人に対して、「家族以外に興味関心がない面白みのない人生を送る人」なのではないか、という感想を持った昔の私は、きっと大切なものが見えていなかった。あの奥さんは幸せだったんだろうなあ、と思い返す小春日和の今日この頃です。

 コラムを読んでくださった皆さんは今年の初詣はもう済まされましたか?一月中なら初詣に滑り込みセーフだそうですよ(笑)。どうか、そのお願い事が叶いますように。最後になりましたが、またこれから良い一年にしていきましょう。

 

執筆:2009/01/02 鳥取県民
一人暮らしを始めるとき、僕はなるたけお金をかけない引越しをしようと思いました。家具もできるだけ安い値段で手に入れようと思ったんですが、価格ドットコムというサイトは本当に便利です。この機能が付いた洗濯機ならこの値段で一番安く買えるっていうのがが検索ひとつでわかるんです。他にも中古でいいような家具はヤフオクを使ってガンガン中古で手に入れていったんですけど、そこでもやっぱりコレぐらいの質ならこの値段っていうのが決まっているんですよね。オークファンっていうサイトがオークション統計を発表してるので、落札相場が一目瞭然になってます。そういったサイトで下調べしてから大型店やリサイクルショップに行くと、やっぱり相場と価格が見事に一致していることに驚かされます。価格に見合わないサービスを受けることがないという意味では、高度に発達した情報社会の恩恵を大変に享受できているということなんでしょうね。お金が発明されて価値尺度機能を発揮し需要と供給で形成された相場が、インターネットを通じて情報格差が解消されて、より洗練された相場になりました。おかげで掘り出し物を発見する可能性が極端に下がったのは残念に思いますけどね。



 相場といえば株ですが、需要と供給を超えて投機的な力も相場形成に影響するのが先物相場です。この相場は逆に固定されず秒単位で振動しています。それはもうビックビク動いていますので、チャートの動きを眺めているとこれが人間の欲望を表しているんだな・・・と勝手な想像をして不思議な気持ちになってきます。 先物は本当に難しい!昨年の僕の"投機"成績がマイナス50万を計上したのは誰にもいえない秘密です。市場環境の変化が相場に影響するタイムラグが限りなく減少し、全て瞬間的に反映されるようになっているわけで、例えば、新聞に石油の減産発表が出てるから「よし一丁石油を買ってみるか」、なんてことでは到底遅いわけです。もう遅すぎるぐらい。リアルタイムで発表が出た直後どころかその前から発表があることを予想して相場に反映されていたりするものです。予想と逆の発表があったときにはそれに対応する相場に瞬時に変動するわけですが、投機ですから今度は買い過ぎる事がよくあるので、遅れて買いに入った人は戻り売りで損失を喰らうことになるわけです。

 さらに、円が高いので日銀が円を放出するというような、相場の状況を見て政府が対策を講じるようになってくると、相場が市場環境を決めるという事態になってきたりもします。相場のチャートが三つ山を作ると大暴落する法則などといったオカルトな投資手法が存在しますが、あながち根も葉もないわけでもないわけです。


 結婚相手探しの広告をふとクリックしたことがあるんですが、おもしろいですね。結構多くの方が登録されているみたいで、職業・年齢・身長・体重・年収などなど様々な希望を入力して検索できる仕組みになってます。サクラがいないのだとすれば、十分な数の需要と供給が交錯する場所となり、そこには恋愛相場なるものが形成されていくのではないでしょうか。一般人の生活コミュニティで接触する異性が30人程度だとして、それを大幅に上回るインターネットの出会いが定着したときには、上記項目から測られる自分のレベルに応じた相手のレベルが自然と定まってきます。出会いがなくてもうこの人でいいかなって我慢しなくてもよくなるかもしれないんです。ただし相場以上の人を期待するのは難しくなっていますけどね。そんな世界をバナー広告から星新一的に想像してしまいました。


 最後は非現実的な話になりましたが、このようにどんどん進化していく相場というものを、今年はしっかりと見据え昨年の損を取り返す年にしてやりたいと思っております。というフラグを立てたところで失礼しようと思います。今年もよろしくお願いします!! 
執筆:2008/12/06 53
 私はよく立ち喰いそばに行く。

 ラーメン屋よりもそば屋だ。決まって頼むメニューは「かき揚げそば」だ。外出した際、数ある飲食店の中で最後まで入りたいといつも思う。お金がないとき、時間的余裕がない場合は必ずと言っていいほど入り、かき揚げそばを食べる。通学路では東京メトロのとある駅にある立ち喰いそば店によく行く。そこは、そばが細く、また珍しいことに汁は関西風の薄口なのだ。また大学の近くにもよく行く店があったが、夏休みの間に潰れてしまった。

 そもそも私と立ち喰いそばの出会いは小学生の頃に遡る。テレビを観て、立ってごはんを食べるという奇妙なスタイルに憧れた。ある日、東京に出かけた際、母親に連れて行ってもらった。サラリーマンが多いからかカウンターが高く、当時は丼から麺が食べにくく頑張ってすすった記憶がある。

 ところが私の立ち喰いそばライフは一転、高校時代は高田馬場のラーメン屋が流行っていた。学ランを着たまま、土曜日午前中に授業が終わると高田馬場まで出て行き、友達とラーメンを食べた。

 ラーメンも立ち食いそばに似ていると言われるが、ただラーメンは値段が高く、また熱烈なファンもいるため、私としては敷居が高く感じる。ラーメンは平気で800円とか900円とかするが、かき揚げそばは高くても400円で良心的だ。
 人気のラーメン屋はテレビに取り上げられ、行列ができるが、立ち喰いそば屋は人の流れが早く混まないし、食べ方とか汁の飲み残しとかうるさく言われない。
 一流ホテルのレストランや高級そば屋と比べると一般的には格別美味しいわけでもないけど、東京ならどこにでもあって安定した味(どこも同じ味付けではないが)が食べられる。
 また家で同じように作ろうと思っても不思議なことに立ち喰いそばのように美味しくは作れない。

 私にとって立ち喰いそば屋は大変行き易く、落ち着いて食べられる場所なのである。やっぱり立ち喰いそば屋だ。

 駅の立ち喰いそばでは、夜の8時くらいになると熱いそばの丼を持って電車が来る前に食べ尽くそうと頑張っているサラリーマンの姿が見られ、お腹が空いていると私はそこに混ざって同じように熱いかき揚げそばを平らげる。一見落ち着きのないように見え嫌な人には嫌かもしれないが、これはこれでけっこう美味しいのだ。
 そして丼を空にすると、返却口に器を返し、おばちゃんに「ごちそうさま」そしたら「はいよ、ありがとう」と。このやり取りの瞬間がまたなんとも粋で好きだ。

 今後、大学を卒業して社会人になり年を取ってお金を持つようになったり、ひょっとするといい立場になって高級レストランでばかり会食をするようになったりするかもしれない(あまり期待できないが・・・)。しかし、そんな状況になっても立ち喰いそば屋に足を運び、大学時代にやったように他のサラリーマンの中に混ざってかき揚げそばを注文したい。共感されにくいだろうが、これが自分にとっての粋でこれからもそういたい。
執筆:2008/11/5 もとこ
皆さんこんにちは。


突然ですが、このコラムを読んで下さっているあなたは、
何歳ですか?

私はといえば、気がつけば、22歳になっていました。
漠然と日々を過ごし、いつの間にやら大学4年。
卒業を半年後に控え、来春からはいよいよ社会人になります。
一人の若者として、社会の構成員の一人になります。

でも。

私は、本当に社会に出ていいんだろうか、と、漠たる不安を感じる日もあります。
言い換えると、私は本当に社会に出るほどの「オトナ」になったんだろうか、と、
自分に対して自信を持てない日があります。
「社会人」とは私にとって「オトナ」の代名詞でありました。
今までの私にとって、世のオトナたちは、自分とは別種の生き物のように感じていました。

法律上の成人年齢を迎えた。
振袖も着た。
年金も払った。
しかし、どうも、ある一日を境に「オトナ」になるわけではない様子。

翻って、今の私が「コドモ」かと聞かれれば、イエスともノーとも答えられません。
22歳にもなって、オトナでもコドモでもないと感じているなど、
12歳で元服していた時代の人からすれば呆れる話でしょう。

しかし、「22歳にもなって」と言ってみたところで、
年齢でオトナか否かを区別するのはしっくりこない。
自分が間違いなく「コドモ」であった時のことを考えてみれば、
「オトナ」たる要件も見つかるのではないか。
こう考え、自分の人生を少しばかり振り返ってみることとしました。

「コドモ」である私は、自分のことだけ考えていれば良かった。
自分の幸せだけを見ていれば良かった。

「オトナ」一人ひとりが、私と同じように、
一人の人として悩んだり迷ったり、努力したり笑ったりしながら生きているという、
当たり前のことについて考えることもなく
「コドモ」である自分とは少し離れたところに、根拠のない境界線を引いていたのでした。

でも、世の中のあまり良くないであろう仕組みの存在やら、
あまり知りたくなかった事実やらを見てしまった今、
ただ無邪気に自分の幸せだけを追うことが、時折どうしようもなく空しくなります。

今の私は、かつて自分で引いたはずの「オトナ」と「コドモ」の境界線の
際まで来てしまった、あるいは、
ぼんやりとしたその境界線の上を歩いている、ということでしょうか。
そのコドモとオトナのグラデーションの、少しオトナ側に立って見る世界もまた、
面白いかもしれないなと、最近思うようになりました。

アンジェラ・アキさんの「手紙~拝啓 十五の君へ~」という歌の中に
「十五のあなたに伝えたいことがあるのです」という歌詞があります。
私もまた、15の私に言ってやりたいことは多々あります。
つらいときには頭をなでてやりたいし、甘ったれているときには張り倒してやりたい。
でも、私はいつの間にか22の私になってしまって、15の私はどこにもいない。
だからせめて、今15の誰かが、15の私が苦しかったことで、苦しまないでほしい。

きっと、私の周りにいた「オトナ」たちは、同じようなことを思いながら、
人生の後輩の一人である私の危なっかしい足取りを、
見ていてくれたんだろうなぁと、ふと思います。
人生の後輩に思いを馳せるようになったこと自体が、
自分が「コドモ」でなくなってきた証拠なのかなぁとも感じています。

きっと、私も誰かから「オトナ」と分類されるようになるでしょう。
でも私自身は、いくつになっても「なかなかオトナになれないなぁ」と、思いながら
コドモとオトナの間を行きつ戻りつ、生きていくんじゃないかと思います。
執筆:2008/8/21 ゆっきー
  皆さんご存知のように、私は中国のハンセン病療養者村でボランティアをするサークルに所属している。このサークルでは毎年、夏と春に、湖南省や広東省のハンセン病療養者村でワークキャンプをする。私も、一年生の春、2年生の夏、2年生の春 合計3回現地でのキャンプに参加した。

  私がなぜ今までキャンプを続けているのか、この活動から学んだこと、そしてハンセン病のことについて話したいと思う。

  ハンセン病療養者村というのは、水道、ガスがなく、トイレも地面に穴を掘っただけのものしかない。もちろん、お風呂なんてないので、夏は川で泳ぎながら体を洗い、冬はキャンプ中ずっと(10日間くらい)髪を洗うことができない。10日間もシャワーに入らないでいると、頭皮に汚れがたまりすぎて、かゆいのを通り越し、頭が痛くなってきたりする。また、夜は氷点下3度くらいまで下がるので、雪山などで使う本格的な寝袋が必要になってくる。しかし、準備不足で春秋用の寝袋(10度までしか対応できない)を持っていてしまい、凍え死にそうになったこともあった。
  こんな場所にどうして何度もいくのか、不思議がられたり、変人扱いされたりする。「ボランティア」という言葉に妙に反応し、やたら感心してくる人もいる。
  正直私も自身 この活動を始めたときは、何度も参加するとは思っていなかった。私は “自分自身のため”にこの活動を始めた。普通の海外旅行ではなく、何か面白い体験がしたい。そんな軽い気持ちではじめ、一回行けば十分だろう・・そう思っていた。
  実際現地で風邪をひいたり、お腹を壊したり、どうして10万円もかけてこんなところにいるのだろうと思うこともあった。何度もやめようと思った。
  そんな私が今までこの活動を続けてきたのはただ単純に参加しているキャンパー(キャンプに参加している人のこと)と村人が素敵だから。この活動、ボランティアという名称だけど、自分が村人やキャンパーに何かしてあげられたことはほとんどない気がする。それよりも、村人やキャンパーから学んだことが数え切れないほどある。
  キャンプ中、夜遅くまで村人のために井戸を掘ったり、私たちが村で快適に睡眠がとれるよう 村から2時間ほどかけて毛布を買いに行ってくれたり。私が、夜に「お腹がすいた」とブツブツ言っていると、昼間 井戸掘りで疲れきっているにも関わらず、美味しい夜食を作ってくれたり・・・。他人のためにこんなにも一生懸命頑張れる人がいるんだ。みんなの周りを思う気持ちにただただ感心させられるばかりだった。そして、この人たちがやっている活動をもっと自分も応援したい・・・そう思うようになった。続けてきた理由は、「この活動に参加している人たちに魅了されたから」その一言に尽きる。
  人の人生は「人との出会い」に大きく左右されるというけれど、それは本当なんだなとこの活動を通して改めて実感している。


  悩みながら活動を続ける中で、学んだこともたくさんある。
  もう卒業してしまった先輩がこんな話をしてくれた。
  「この活動は 最終的には村人のためになるものでないといけない。うちのサークルが大きくなり、村人に直接関係ない活動も増えてくる。そのような(村人と関係のない)活動に意義を見出せない人もいるかもしれない。けれど、そのような(村人と関係のない)活動が、直接村人につながっている(関係している)と考えられる人でないと、この活動は続けていけない。
  表面的にしか物事を見られない人は多いけれど、「物事の奥行き」が見える人は強い。また、物事を立体的に見られる人でないとこの活動は続かない。私は先輩の言葉をこう解釈している。
  このことは、ほかのことにも通じるのではないかと思う。社会人になれば、やりたくない仕事をやらなければならないことは多々ある。やるべきことをやらなければ、自分のやりたいことはやらせてもらえない。
  そんな時、今やっている「やりたくない仕事」や「雑用のような仕事」が、自分の「やりたい仕事」、ひいては「夢」につながっていると思えれば、「今の苦しい状況」もうまくやっていけるのではないかと思う。今やっていることが、次のステップへつながっていると信じられること。奥行きの深さを味わえること。この能力はどんな状況でも必要になってくるのではないだろうか。

  そして、チャオは私にハンセン病を考えるきっかけを与えてくれた。ハンセン病患者が今まで体験してきた差別は想像を絶するものがある。ハンセン病の原因であるらい菌の感染力は微弱であること、「絶対隔離」は必要ではないことが、確認されていたにもかかわらず、患者の基本的人権は無視されつづけ、強制隔離されていた。 法的な解決が果たされたあとも、いわれのない偏見は後を絶たない。
  ハンセン病元患者の方々は現在高齢の方ばかりだ。ハンセン病問題を解決するために残された時間はあとわずか。消えてゆく問題にどうしてこんなにも一生懸命取り組んでいるのか。
  「ハンセン病の問題はすごく特殊な例。だけど、ここに人権問題の全てが要約されている。人権問題の本質がある」と別の先輩が言っていた。
  人は、自分とは違う人や自分より弱い人にレッテルをはり、区別したがる。そして、自分の不満・社会の不満を弱者に対して攻撃することで発散しようとする側面がある。どんな時代でも、どんな地域においても、このことはあてはまる。そして、失敗から学ぶことなく、同じような過ちが何度も起こってきた。歴史はどんな時代でも繰り返される。ハンセン病の活動を通して、同じような過ちが繰り返されないように私も社会に対して働きかけることができれば・・・と考えている。
  余談だが、私はこの9月から北京に一年間留学する。きっと、留学中は楽しいことばかりではないだろう。けれど、一緒にキャンプした中国人と英語ではなく中国語で話せると思うと、どんなに大変でも頑張れる気がする。また、筆談でしかコミュニケーションをとれなかった村人と直に話せると思うと楽しみで楽しみで仕方がない。
執筆:2008/8/01 PAL
日本の社会はどこかがゆがんでいる―――こんなことが言われ始めて、もう何年経つだろう。猟奇的な事件・残忍な事件が起きるたびに、「ゆがみ」という言葉は多く用いられる。 「心のゆがみ」「社会のゆがみ」。ある意味、だれもが納得するフレーズだし、落としこみ易い。

 でも、事件の話題が世間から消えた頃、結局根本的には何も変わってないなと感じてしまうのもまた事実。社会全体を包含する大きな雰囲気というものは、果たして明るい方向に進んでいるのだろうか? 私自身は、なかなか実感できずにいる。

 先日、国際討議セッションなるものに参加した。これは内閣府が世界各国から青年(といっても、40歳近くまで参加可能)を招待し、コースに分かれて討議したりプレゼンをしたり、国際交流するプロジェクトである。
そこでチュニジア人女性と会話する機会があった。チュニジアは、アフリカ大陸の北端、地中海に面したアラビックの国である。彼女はチュニジアで新聞記者をしているそうで、ムスリムでもあった。
そんな彼女との会話で、頭に焼きついてしまったものがある。かいつまんで紹介する。

彼女は突然「なぜ日本人はそんなにたくさんの人が自殺をするの?」と尋ねてきた。 なぜ、か。理由。なぜ。なぜ・・・。

確かに日本は自殺大国である。日本の自殺者数は、1998年以来毎年3万人を超え、交通事故による死亡者数をも上回る。自殺率でみても世界的にとても高い。人口比の自殺率はG8の中ではロシアに次ぐ第2位で、アメリカやイギリスの倍以上の水準を保っている。

「バブル崩壊以来、景気が悪くて・・・。」「格差社会が・・・。」

浮かんでは消える答え。私は、おそらく彼女が聞きたいのはそんな一面的なものではないような気がしていたし、私自身も何か違うと感じた。おそらく、もっと本質的なところを問うているように感じた。

答えあぐねていると、彼女は突然言った。

「日本には宗教がないからよ」
スパッと言い切った。

正直、私はちょっとびっくりして反応に困っていたのだが、彼女はおかまいなく続けた。

「日本には宗教が無いでしょ。仏教はあっても、そんなに強く信仰してはいない。だから、失敗したとき、苦しんでいる時、許しを請う相手(いわゆる、神らしい)がいないの。逃げ道がない。だから失敗できないし、人生を楽しむことそのものが苦手なのよ」

この論、極端と言えば極端である。でも、ある意味的を射ている部分もある。

その後も、なんとなく彼女との会話が頭から離れずにいた。私の中で引っかかっていたのは、宗教云々より「人生を楽しむことが苦手」という言葉だった。そこは、実感として否定し切れなかったからだと思う。

「楽しむ」。特に、誰かと一体になって楽しむことが、あんまりないよな、日本は。私の率直な思いはそこにあった。

例えば、サッカーEURO2008(サッカー欧州選手権)。もちろん、サッカー選手たちのプレーは目を見張る芸術作品であった。しかし、すごいのは選手ばかりでは無い。ヨーロッパ全体が燃え上がっていたと言えるほどの、サポーターの規模と熱狂ぶりである。あれはもはや、国単位の熱狂的な「お祭り」であった。皆が一体となってプレーに陶酔しているようで、そんなものをもつ彼らが羨ましくもあった。

ちょっと話しは変わるけれど、ロシアの天才バレエダンサーにニジンスキーという人がいる。第一次世界大戦期ごろに活躍した男性ダンサーである。
彼の特徴は、驚異的な跳躍力と両性具有的魅力。もっと象徴的に言えば、「境界を飛び越える力」だったという。
人間の役から、人形、バラの精、牧神まで何でも演じた。現実に存在するものとそうでないもの、人間と人間でないもの、男らしい役から妖艶な役。彼はいとも簡単に、役ごとの境界を飛び越えて演じ切っていたという。それを彼の跳躍力が象徴的にあらわしていたからこそ、見る者は魅了されたそうだ。
また、彼自身の人生も、決して既定路線を走ってはいない。華々しいダンサー時代も経験していれば、精神異常の時代も経験している。女を愛し、男も愛した。
一言で、「境界の無さ」。これこそ彼の特徴であり、魅力でもあったと言う。人はそこに惹きつけられた。

・・・とはいえ。なぜ人はそこに惹きつけられたのか?
そもそも人間には、相反する本来的欲望があるという。(あくまで諸説あるうちの一つだが。)
一つは、自分の居場所を固定化させ安心したいという思い、つまり「境界線を作りたい」欲求である。家族や学校というコミュニティだったり、1人の空間だったり。安定した固定的な場所に身を置きたいと言う思いである。

一方で、誰かと一体化したい、気持ちを共有したいという思い、つまり「境界線を取り払いたい」欲求も持つ。感動の共有などがそうで、もらい泣きなどはその現象の一つである。 そして、この一体化したい、境界線を取り払いたいという思いは、いわゆる「楽しむ」ことにつながるように思う。

スポーツでの一体感。お祭りでの一体感。何かを作り上げることで生まれる一体感。感動の共有。これらの体験はその場が楽しいことはもちろんである。しかしその体験自体が、体の中で大きなエネルギーを生み出しているようにも思う。私自身は、そこに一種の人間らしい大きなパワーの可能性を感じるのだ。
またEURO2008の話しに戻るならば、遠く日本にいる人々も自らEUROのパワーに巻き込まれて行き、サッカーに酔いしれた。学校や駅、道端で、どこからともなく、楽しそうにEUROの話題に興じる声を何度も耳にした。
本来ヨーロッパローカルであるはずのEUROは、いとも簡単に世界中を巻き込んでいた。おおかた、プラスのエネルギーとパワーを振りまきながら。


一体化を美化しすぎれば、時に全体主義につながりかねないし、危険な側面ももちろんある。しかし、スポーツでも文化でもなんでもいい。日本において純粋に「楽しむ」ことの可能性を追求することは、意味あることだと私は思う。
「楽しむ」。ここにまだまだ日本の伸び代があるように感じる、今日この頃である。
執筆:2008/7/9 おかじゅん
有名なアニメーション映画、「風の谷のナウシカ」には漫画バージョンがある。映画とは様相が異なり、はるかに長い内容なのだが、題名は、その一節で出てくる言葉だ。「苦悩」とは文字通り、苦しみ悩むことである。私が大切にしている銘の一つで、また私の心の中では、一年と少しを過ごしている水島ゼミをこの言葉で表している。ゼミ生の共感を得られるかは分からないけれど。


私たちが生きているこの世界は(おおむね)、判断の速さ、即決性が求められる世界だ。「誰よりも早く物事をこなす」こと、それがとても高く評価される。ゆっくりじっくり、ああでもない、こうでもない、と悩み続けることは、「時間」という最も希少な資源を浪費することでしかなく、結局のところ、大した利益を生み出さない。「時間をかければ、必ずいいものが出来上がる」とは限らない。

この指摘はとても分かりやすく、一面で正しい。「速さ」は絶対的な有限性を背負った人間にとって、有限性が妨げる多くの可能性を存続させ、人生を豊かにしてくれる(可能性が高い)。私自身、(競技などではなく、思考の制限という意味で)「速さ」を求められる世界で勝負したことがあるだけに、それがもたらす緊迫感や、必然的な思考速度の向上、逆説的ともいえるが、それゆえの生産性の高さを知っている。「速さ」を追い求める意味性は経済界を具体例として、それに限らず、この世界においてとても重要だ。

ここで、「苦悩」と「速さ」は、相反するように思える。したがって、「速さ」が持つ意味性を強く認めると、「苦悩」は意味がなく、非生産的で、無駄な行為となりえるかもしれない。しかし、私は、「速さ」の意味性を認めた上でなお、「速さ」を犠牲にしても「苦悩」する意味性が存在する場合があると思っている。

人間が人間として幸福に生きるためには、真に人間的(この意味も難しいが)な概念、「死」や「安全」や「美」、そして「幸福」そのものなどは、避けて通れない夜道を歩く上での電灯のようなものだ。これらの概念は「苦悩」を伴わなくして思考することすらできず、したがって、電灯を灯らせることができず、幸福に生きるための道を歩けない。いかに深い「苦悩」を重ねたかが、これらを語る人間からにじみ出るように分かる。私としては、「苦悩」を重ねた人間としゃべることが楽しい。自分自身、相手にともなって幸福に近づける感覚があるからだろう。

私の人生において他人から与えられた「学び」の中で、「苦悩」することをよしとしてくれたのは水島ゼミが初めてである。小中高はもちろん、大学においても与えられた「学び」は「苦悩の除去による速さの追求」が主要事項であった気がする。もちろん、部分的な「苦悩」の開放はあったが、全面的援護支援体制を与えられて「苦悩の深さ」を追求できたのが、水島ゼミだった。

私の感覚では、水島ゼミにおいては、簡単に、端的に、素早く答え(らしきもの)にたどり着くことは求められていない。むしろ、対象から最も遠回りをすることを推奨する雰囲気すら感じる。思考と志向をとめない、終わりなき旅はひどく手間がかかる。しかし、それゆえに、たまに感じる(気がする)電灯の灯りがひどくうれしい。

「苦悩」がにじみ出る人間になりたい。ずっとネガティヴに「苦悩」を趣味としてきた私が、こう思えるようになったのはつい最近のことだ。